1955年、日本の電話帳には登場しない焼肉の項目

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焼肉はこうして国民食になった。北朝鮮の専門家が紐解く日本焼肉史
https://news.livedoor.com/article/detail/11897941/

焼肉が日本人の市民生活に定着したことを知らせてくれるのに、電話帳がある。日本電信電話公社(今のNTT)の電話帳に「焼き肉」の項目が登場したのは今から30年前の1986年の事である。

つまりこの時期に焼肉店が全国的に増加したことが分かる。もっと言うならば、「焼肉」と言う言葉が日本社会に定着し始めたのである。もちろん、焼肉店はあったが、誰もが「焼肉」などと言うことはなく、「ほるもん焼」「もつ焼き」「朝鮮料理」などとあいまいな表現で通じていた。もっとも、「焼肉」と言う文字を看板に書いたのは昭和22年開業の大阪の食道園である(昭和21年に東京で開業し、22年に大阪に引っ越し、千日前で新たに開業)が、「焼肉」という言葉が通用することはなかった。焼肉が国民食になるにはそれこそ焼肉産業に携わってきた焼肉業界の「人と技」があったからである。

あの食道園を開業した人が平壌出身のイム·グァンシクさん

面白いのは日本のプルコギ「焼肉」の歴史。1946年、故郷の平壌を後にし、38度線を越えて仁川とソウル、釜山を経て日本に密航した後、大阪の千日前で「平壌冷麺屋」をしていた「食道園」の創業者林光植(後に江崎水夫という日本名で創氏改名)が冷麺とともに「焼肉」を売り始め、日本ではむしろ「焼肉」が有名になった。

平壌式プルコギはスープを使わず、火で焼いて酢醤油につけて食べる。

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Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ