日本文化の流入が途絶えた時期

スレ主韓国人

20年前までは、大衆は日本文化を享受しました。
日本人が設計して韓国で作った自動車。
日本人が作曲して韓国語に翻案した歌。
日本で制作した漫画、ドラマ、文学作品。
日本で作った電子製品、服、化粧品などなど…
およそ2004年までは、10~20代は日本文化に憧れて享受しました。
青春スターとして松本潤がいたし、選好するガールグループにはモーニング娘が…選好する家電製品はソニーのTV、象印の炊飯器がありました。
起亜車クレドスは、マツダ車をその通りに作って、大宇自動車アカディアはホンダ車をそのまま作って、反応が良かったんです。
国産で作った現代自動車は、乗り心地よく室内を広くしましたが、基本技の面で日本人が設計した自動車よりは落ちました。
人々は日本の商品を買う為に、直球でビザカードを作って、福岡の船に乗って行って現地の商人から品物を買いました。

2005年頃、サムスンが日本の家電メーカーの売上を抜いて、ペ・ヨンジュンが日本を席巻した時から…
完全に日本の文化、日本の商品は言及そのものが埋葬されました。
そして福島の事故以降は、ただの観光地あるいはデザート程度…
基礎科学や源泉技術、機械分野は論外ですが…
もし今日まで日本文化が流入し続けていたら、私たちはAKB48を大衆歌手として受け入れていたでしょう。
日本が忘れられていく中、米国のものをよく受け入れたのも皮肉になって…

Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ