なぜ日本では自ら天皇になろうとした人が居なかったのか?について…

スレ主韓国人

実は、自ら天皇を称した人もいましたが惨めな死に方をしています。
その後は、一度もそんな人物は現れていません。

全国を統一して、外国を侵略した豊臣秀吉でさえも「北京へ行って城を築いて天皇を迎え、私はインドに向かう」と言った程です。
これに対して多くの専門家が「日本は和を重視していたからだ(イ・ウォンボク)」、「日本で天皇は人間ではなく宗教だから…(主流歴史学者)」と説明するが、それだけで説明しにくい点が多いと思います。

しかし私は…「実利主義」のためではないかと思います。日本の戦国時代の物語を見てそう思うようになったが、日本の大名たちが他国の実権者たちに比べてどれほど実利主義的な考えを持っているのかがよく分かります。悪く言えば、裏切りと破倫が日常化していましたが、しかし天皇は触らなかったというのが、歴史学者たちの言うように天皇を神と考えるというのが正しい言葉でもあるのが「絶対に触れてはいけない聖域」に触れれば、自分が失うものが多いから、そんなものには手を出さないのが日本的な観点ではなかったのかと思います。

戦国時代の豪傑たちの行動を見れば、一様に「名分」に縛られる人がいない事が分かります。もっと好戦的か、現実的か、能力が優れているか、といった争いであろうが、中国の三国志のように「皇室復興のための戦い」「無能な王朝を交替するための戦い」といったイデオロギー的な戦いではなく、行動一つ一つが自分の利益になるのか、そうでないのかという事だけにフォーカスされます。どうせ、あちらの大名の土地を私が受け取ると、その民たちがすべて私の財産になり、あちらの大名の民たちが飢えれば食糧を送ってやったり、小さい時から同じ村で育った幼馴染がお互いに違う大名を迎える事になり、戦場で相手軍として出会い、友人を殺し、戦争が終わった後は友人の親を訪ねていき、土下座(跪いて頭を地面に打ち込み許しを請う行動)をします…

こんな事は…中国や韓半島では見られない事です。

日本に対する反日を感情除けば、日本を理解するのに凄く役に立つようです。私も最初は、なぜ豊臣秀吉という人が関白、太閤の官職などに満足したのかが理解できなかったのですが、日本の歴史に没入して勉強(…と言えば、恥ずかしいが、たくさん読んでみたら)したので、彼らの精神世界が何となく見えるような気がしました。どうせ将軍になれば、事実上、王朝国家のように代を継いで豊かに暮らして行けて君主になれるし「日本の象徴」である天皇を排斥する瞬間、禽獣のような奴になってしまうからだったようです。そのような点で、「倭人論」である「半人半獣論」のすべては正しい言葉ではありますが、そこに一つを加えて「極端な現実主義性」が加われば、完全に説明できると思います。

日本の歴史を見ると、武士社会だからなのか、イデオロギー争いより物理的な力と財力争いが全ての場合が多く、そのようにして最高の地位になった人々の性向も、名分よりは実利を得る人が多かったんです。

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Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ