「韓国叩き」安倍背後に日本会議と神政連…日本極右の素顔

安倍内閣の大多数が極右団体登録…平和憲法の改正に全力
「韓国叩き」改憲動力確保の目的…「日本民主主義の悪性ウイルス」

20190730-01.jpg

(ソウル=ニュース1)チェ・ヨングイル記者=安倍晋三日本首相が韓国に報復輸出規制措置を断行したのは、「韓国叩き」を通じて、平和憲法改正の動力を確保しようとするという分析が説得力を得ながら安倍首相の背後にある極右団体に関心が傾く。

ジョ・グク青瓦台民政首席秘書官が去る22日、シニア補佐官会議に関連書籍を持って入ってきて、国内で関心を集めることになった日本最大の極右団体「日本会議」は、政治的主張が安倍内閣の政策と変わりない。

それもそのはず、密接な関係を結んでいる別の極右団体「神道政治連盟(神政連)」に加え、所属会員たちが日本政府を掌握しているからである。これらの団体に名前を上げなければ閣僚をすることができないと言っても、過言ではないほどだ。

日本共産党の機関紙「赤旗」は、昨年10月には、当時の発足した「第4次安倍内閣」について閣僚19人全員が神政連(19人)や日本会議の議員の会である日本会議国会議員懇談会(15人)に属していると報道した。

日本会議は1970年代中盤右派宗教団体を中心にした「日本を守る会」と1981年結成された保守系文化人組織「日本を守る国民会議」が統合されて1997年設立された。会員数は現在約3万8000人だ。

歴史研究者などで構成された「日本の戦争責任資料センター」の上杉聡事務局長は、2015年7月に東京新聞とのインタビューで「「日本を守る会」は、過去の満州侵略を主導した将校の思想的信念になった宗教右派の血統を引き継いでいる」と述べた。

驚くべき点は政界での影響力である。赤旗は安倍首相と麻生太郎副首相が特別顧問としてまだ登録されていることが確認されたと、9日報道した。

役員名簿も派手だ。国家公安委員長を務めた古屋圭司衆議院議員が会長を務めている。副会長には下村博文自民党憲法改正推進本部長、森英介衆議院憲法審査会長、新藤義孝衆議院議員などが含まれている。

現職閣僚の中では、菅義偉長官が副会長に含まれている。岩屋毅防衛相が幹事長代行、山本順三国家公安委員長が副幹事長を務めている。幹事長は、衛藤晟一首相補佐官が務めている。

機関紙赤旗は、日本会議の設立趣意書には、「日本の侵略戦争を裁いた東京国際軍事裁判の判決を批判して戦後の国際秩序に挑戦する歴史観を公然と主張している」とし「このような団体所属人が閣僚の大部分を占めている実態は、歴史に逆行する安倍政権の姿勢を浮き彫りにさせる」と診断した。

20190730-02.jpg

これらと関連した団体は、市民社会で安倍政権の右向け右の歩みに貢献してきた。日本会議は、中央と地方議会で勢力を伸ばして「新しい歴史教科書を作る会」と「教育再生機能」の教科書採択や憲法改正の動きのための1000万人改憲賛成署名を受けている「美しい日本の憲法を作る国民会」など本体以外にも数多くの関連団体を組織して、大きな影響力を発揮している。

神政連は1969年に結成された団体で、設立趣旨は日本会議と大同小異である。Δ皇室(王室)と日本文化の伝統を大切にする社会づくりΔ日本の歴史と国民性を勘案し誇りを感じることができる憲法制定Δ靖国神社英霊国儀礼確立などである。安倍首相は、神政連国会議員懇談会会長を務めた。

特に神政連は神社本庁と不可分の関係を結んでいる。神社本庁は、日本全域の約8万の有名神社を傘下に抱えている民間の宗教法人として1947年に設立された。明治時代に推進した国家神道政策が敗戦で中断されると信徒思想の保存のために作られた。

国家神道で国民は、日王への絶対的忠誠を強要された。日王を中心とした国家観は「八紘一宇(日王が世界を支配しなければならないことを意味)」と呼ばれる思想で発展して侵略戦争を正当化させた。つまり、国家神道は日王の下での軍国主義、国家主義と結合して第二次世界大戦に飛び込む精神的支柱の役割をした。

敗戦後、時間が経つにつれ、神社本庁は露骨に本音を持ち上げた。1960年代に入って国家神道復活の動きを強化しながら、政治の舞台に出たのである。1969年神政連、1970年には神道政治連盟国会議員懇談会が設立された。

2000年、森喜朗当時首相は「日本は天皇を中心とする神の国」と言われて物議をかもしたが、この発言は、神政連設立30周年記念祝賀の挨拶で出てきたものである。

2016年5月に主要7カ国(G7)首脳会談が日本で開かれたとき、安倍首相は最初の公式日程で、首脳たちを伊勢神宮に案内した。各国首脳を手厚く歓迎する安倍首相の顔には笑みが絶えなかった。伊勢神宮は神社本庁の最高聖地だ。

ジャーナリストで作家の青木理は著書「日本会議の正体」で日本会議について「戦後日本の民主主義体制を死滅の道に追い込む可能性のある悪性ウイルスのようなもの」と例えた。

彼は「日本会議が安倍政権を牛耳ったり支配したというよりは、むしろ両者が共感して共鳴しながら「戦後体制の打破」という共通の目標に向かって進んで、結果的に日本会議という存在が巨大になった」と指摘した。

ttps://ux.nu/aBj2b

Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ