これを昔、授業でやったら「なぜ助ける必要があるのかわからない。俺は傍観者だから放置して5人が死んでも責任はない。でも切り替えたら俺の責任になる」と言った生徒がいて衝撃を受けた。確かにその通り。「5人の人に感謝されるメリットよりも、1人の遺族に責められるデメリットの方が大きい」と。 pic.twitter.com/BU9tmtMnMU
— とある高校教師S (@hellohellock) 2019年4月11日
彼はひねくれていたから敢えて俺を困らせようとした可能性は濃厚だけど、彼が本気でそう思っていたのかはさておき、そういう意見が出てくる授業というのは「良い授業」だと思う。周囲も衝撃を受けていたけど、どう受け止めたのかは未知数。それが良い点であり怖い点でもある。授業はまさに生き物だ。
— とある高校教師S (@hellohellock) 2019年4月11日
世の中は「良いか悪いか」という議論では済まないことも多い。特にオトナの世界では、「誰が責任を取るのか」「誰がカネを出すのか」という打算的判断やポジショントークが蔓延している。哲学的な正しさも、現実を目の前にするといかにも弱い。学校で教える正しさが世の中で通用しないことも多いのだ。
— とある高校教師S (@hellohellock) 2019年4月11日
サンデル教授の授業では、これを路面電車に置き換えて自らが運転している場合を扱っていたけど、それでも同様に「俺は運転士であって整備担当ではないからブレーキが利かずに5人死ぬのは俺のせいではないが、1人いるほうに曲がったら俺の責任になるからそのままにする」という逃げ方はできると思う。
— とある高校教師S (@hellohellock) 2019年4月11日
引用元: ・先生「これを昔、授業でやったら「なぜ助ける必要があるのかわからない』と言われた」
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Source: 不思議.NET
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