1: 風吹けば名無し 2019/02/14(木) 18:49:53.51 ID:HdDie9HA0St.V
コンスタンティノス率いる東ローマ軍は2ヶ月にも渡って抵抗を続けたが、1453年5月29日未明、ついにオスマン軍が城壁を突破し、
コンスタンティノスは大剣を抜き払い、皇帝のきらびやかな衣装を脱ぎ捨てると、
「神よ、帝国を失う皇帝を許し給うな。都の陥落とともに、われ死なん。逃れんとするものを助け給え。死なんとするものはわれとともに戦い続けよ!」
との演説の後、親衛隊とともに市中に渦巻くオスマン軍の中に姿を消した。こうして、アウグストゥス以来のローマ皇帝の継承者は絶え、
紀元前753年に起源を発するローマ帝国は滅亡した(詳細はコンスタンティノープルの陥落の項を参照)。
コンスタンティノスは大剣を抜き払い、皇帝のきらびやかな衣装を脱ぎ捨てると、
「神よ、帝国を失う皇帝を許し給うな。都の陥落とともに、われ死なん。逃れんとするものを助け給え。死なんとするものはわれとともに戦い続けよ!」
との演説の後、親衛隊とともに市中に渦巻くオスマン軍の中に姿を消した。こうして、アウグストゥス以来のローマ皇帝の継承者は絶え、
紀元前753年に起源を発するローマ帝国は滅亡した(詳細はコンスタンティノープルの陥落の項を参照)。
コンスタンティノポリスの陥落後、コンスタンティノスのものとされる遺体が発見された。遺体は数日間晒されたが、そののち最高の栄誉をもって埋葬された。
しかしそれが本当にコンスタンティノスの遺体だったがどうかは定かでなく、オスマン帝国支配下のギリシア人の間には
「大理石と化して眠っているコンスタンティノスがいつの日か復活して、東ローマ帝国を再興させる」という伝説が生まれた。
引用元: ・東ローマ皇帝コンスタンティノス11世の最期の言葉に一同感動の嵐…涙が止まらない…
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Source: 不思議.NET
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