【平成の事件】佐世保・小6同級生殺害「普通の子」と凶行の落差埋まらず 今も解けぬ心の闇
(前略)
あの日。5時間目の授業中、校長たちに呼び出された。険しい表情の教師たちに囲まれ、事件を報じるネット速報のコピーを黙って渡された。でもそれが妹のことだとリアルに考えることはできなかった。
夜、遺体安置所に連れていかれた。横たわった妹の顔を見て、ようやく「死」を理解した。初めて涙が出た。
その後の生活は一変。ふさぎ込む父に「自殺するのでは」とおびえ、気丈に振る舞った。だが高校に進学すると自責の念にさいなまれた。事件前、妹から加害女児とのトラブルを相談されていたからだ。「もっと助言してあげれば事件は防げたのではないか」と悩み、教室に入れなくなった。
加害女児とは一緒に遊んだこともあり、よく知っていた。事件直前の運動会でもふざけて話しかけてくる「普通の子」だった。だから、その後の凶行が信じられなかった。
女児の少年審判はインターネットでのやりとりや交換日記でのトラブルが引き金になったとしたが、到底納得はできなかった。
10年たった14年。父と2人で女児の少年審判を務めた元裁判官と、女児の付添人弁護士に会いにいった。
だがいくら話を聞いても「普通の子」と凶行との落差が埋まることはなかった。結局行き着いた答えは「分からない」だった。もう「なぜ」を考えることはやめようと思った。
女児からは今も謝罪はなく、どこで何をしているのかも分からない。普段は考えないようにしているが、時々苦しくなる。
「人を殺すことは悪いことですよね。悪いことをしたら謝りますよね。謝罪がないのは、まだ更生していないのではないかと思います」。男性は今も謝罪を待つ。
事件を契機として、国は07年、少年院送致の下限年齢を14歳から「おおむね12歳」に引き下げる少年法の改正に踏み込んだ。主な少年法の改正は平成に入って4度目だ。
厳罰化が進む一方、凶悪事件を起こした少年たちの「その後」の情報は厳重に閉ざされ、事件からどんな教訓を得ればいいのか、有効な手がかりがつかめないまま記憶の風化が進む。
(以下略)
※全文はソース元で
引用元: ・あれから14年。NEVADAと遊んだこともある被害女児の兄
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Source: 不思議.NET
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