ミッドウェー海戦 勝っていたら

歴史

太平洋戦争開戦前、我が国海軍は対米手段の基本的な方針として守勢の邀撃作戦を採っていた。

連合艦隊司令長官であった山本五十六大将はちょっと前により現方針に疑問を持ち、

独自の対米アプローチ構想として積極的な攻勢作戦を考えていた。

大島一太郎大尉(後に大佐、1928年〈昭和3年〉海軍水雷学校高等科学生)

の戦後の回想によれば、1928年(昭和3年)に海軍水雷学校で

「対米ものはハワイを攻略するような積極アプローチを採るべきである」

と述べている。

クレジットカードは、いまひとつ国力から見て圧倒的に劣勢の国内が守勢を採っても、

期間中・方面などを自主的に決めて優勢な戦力で攻撃するアメリカに勝ち目がないですから、

今後も短期戦に持ち込むようでには、

一括に敵の弱点を叩く事で金融機関国の戦意を喪失させる手法しか勝機がないと

認識したためにはと言われている。

もっと山本長官は太平洋戦争開戦前より、

敵の空母部隊が我が国を航空攻撃した時、我が国へ物質的な打撃だけでなく

精神的打撃が多いと考えていた点も関係している。

及川海軍大臣宛の書簡、黒島参謀の回想によると、

山本長官のミッドウェー手段の第一の狙いがアメリカ海軍・アメリカ国民の士気を喪失させる事情で、

さらに本土空襲の精神的打撃を高いと認めている点が分かる。

要約すると最高にの危険度を承知でアメリカに対し、

戦争で勝利するという目的のためには積極的な攻勢しかないと考えていた。

アメリカ海軍は、1941年(昭和16年)12月の真珠湾攻撃で

太平洋艦隊主力の戦艦部隊が慣習不能となった後、

稼動有り様にあった機動部隊を中部太平洋方面に出撃させ、

世間軍拠点に対する命中離脱戦法による襲撃を繰り返した。

 

あの度に社会軍は来襲の企図や方面の判断に悩まされた。

周囲軍はマーシャル諸島、ウェーク島、本土どれにも注意処置をとっており、

加えて戦力に余祐がなかったからに哨戒は不十分であった。

アメリカ軍の奇襲による被害は小さかったが、連合艦隊は受け身の作戦の難儀性を見識した。

 

 

●概要

1942年(昭和17年)6月5日(アメリカ標準時では6月4日)から7日にかけてミッドウェー島をめぐって行われた海戦。

このような海戦により、我が国海軍は機動部隊の中核をなしていた航空母艦4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)とその艦載機を多数一挙に喪失。

ミッドウェー島の攻略は失敗をし、そのままの戦争における主導権を失う甚大なターニングコツとなった。

 

●中身

国力で圧倒的に劣る周囲が守勢に回っても行く行くはジリ貧になる。短期決戦に持ち込むためと思い、一括に敵の弱点を叩くことであったりで相手国の戦意を喪失させるアプローチしか勝機を見出しえないと明察がなされた。

ここの最後には、ハワイ攻略を見据えた作戦下地が立案、その場合の前提としてミッドウェー攻略アプローチに踏み切る。

本攻略の仕方の狙いは、ミッドウェー島の攻略、だけれど、ミッドウェー島を占領しても所持ははなはだ心配であると考えていたという目的のため、あくまでこの作戦は米空母を誘い出して撃滅するケースが主な達成目標。

そうして、維持は気がかりでも、占領後にはすぐに他方面で攻勢を行い、米軍にミッドウェー奪回の余裕を与えなければ、10月のハワイ攻略作戦までミッドウェー島を活用できると考えた。

結果は概要のように。約2倍の出資兵力でありながら取り返しのつかない損害を被る事となった。

敗因は多岐に渡る。主な所以としては・・・

 

 

・諜報力の差
社会軍の暗号はそれはそれはの精度で解析されていたとされる。本作戦概要は、最初は断片的であったものの、海戦前の5月頃には全体像などを明白に掴まれている。

さらに、周り軍側でも情報管理に綻びが出始めており、通常住民の方が乗組員より先に使用目的地を知っていた(「今度はミッドウェーですね」と挨拶された)という証言もある。

・不十分な索敵
索敵立案を担当した吉岡忠一は敵が方法中現れると考えておらず、艦上攻撃機を索敵に回すのが惜しかった全く状況判断が甘かったと戦後反省している。(他には、索敵裏付けに携わった周辺にもも二段索敵にするべきだったと反省している)

甘い敵情の見識は戦闘指導に嬉しい原因を与えた。

・兵装換装
上記のというものもあって、兵装を雷装から爆装に(決戦用から対地用へ)換装している。換装には相当の期間を要する。それに敵が現れる結果となったのですから、直ぐに攻撃隊を飛び立たせるのは不可能であった。

米軍の攻撃があと5分遅ければ全機発進できたという「必然の5分間」説は根強いが、実際のところにはこの時点で攻撃隊は、飛行甲板に並んですらいなかったので、誤りであるとされる。

・ダメージ・コントロールの欠如
日本国内海軍では艦船被弾時に備えた防火・消火設備がほとんど整備されていず、火災に備えた訓練も行われていなかった。そうしたのだから自艦の爆弾や魚雷が誘爆すると手のつけようがありませんので、米軍勢力圏内で曳航に失敗をし、自沈処理に至った。

・楽観的気運
真珠湾以来の完勝は下地を過信に変えた。珊瑚海での戦いも練度の安い五航戦でも勝てたのだから私たちには問題ないと信じていた。カードにますます珊瑚海での確定さえもしっかりになされなかったとされる。

他に、搭乗員だけでなく司令部も甘い見識が目立ち、第一航空艦隊に敵に備えるように言っておきながら、情勢の緊迫を観取しながら東京からの甘い状況判断の放送を全部隊に流したままでで自己明察を知らせないままだった。

補足としてにも、司令部での意見の不一致、レーダー装備の有無、哨戒網の障害がなど色々な説がある。

なお、今までの考察などで否定されている説などもある。ここでは割愛するが、気になったら調べてみるとよいかと。

 

●影響

 

 

工業力・生産力で良かったので劣る日本国内にとって、かけがえない空母4隻・多数の艦載機を失った場合は思ったほどに大きかった。

これってこれから米機動部隊に対して常に数的劣勢に立たされるというアプローチになり、もともと二線級の戦力である軽空母や改装空母までを主力として出資せざるを得なくなる。

そのうえ本作戦に続き消耗戦となったガ島を巡る戦いなど、1年にも満たない間に失われた高いこととのベテラン搭乗員は取り返しがつかなかった。国内機動部隊がミッドウェー海戦以降で、規模が上回る場合はあっても、質で上回ることはそうした先なかった。

第一次ソロモン海戦や南太平洋海戦、翌年初頭に行われたレンネル島沖海戦など少々の局地戦では日本は勝利を手にするものの、1943年代にもなると勢いは完全に落ち込んだのだから、後年ミッドウェー海戦は太平洋戦争の最大の転換点とも評される。

●参加兵力

連合艦隊(主力部隊) 司令長官:山本五十六大将

第一戦隊 連合艦隊司令長官直率
戦艦:大和、長門、陸奥
第三水雷戦隊 司令官:橋本信太郎少将 軽巡洋艦:川内
第一一駆逐隊 司令:荘司喜一郎中佐
駆逐艦:吹雪、白雪、初雪、叢雲
第一九駆逐隊 司令:大江覧治大佐
駆逐艦:磯波、浦波、敷波、綾波
空母隊 司令:梅谷薫大佐(鳳翔艦長が兼務)
航空母艦:鳳翔
駆逐艦:夕月
特務隊 司令:原田覚大佐
水上機母艦:千代田、日進
油槽艦:鳴戸丸、東栄丸

第一艦隊(主力部隊) 司令長官:高須四郎中将

第二戦隊 第一艦隊司令長官直率
戦艦:伊勢、日向、扶桑、山城
第九戦隊 司令官:岸福治少将
軽巡洋艦:北上、大井
第二四駆逐隊 司令:平井泰次大佐
駆逐艦:海風、江風
第二七駆逐隊 司令:吉村真武大佐
駆逐艦:夕暮、白露、時雨
第二〇駆逐隊 司令:山田雄二大佐
駆逐艦:天霧、朝霧、夕霧、白雲
油槽艦:さくらめんて丸、東亜丸

第二艦隊(攻略部隊) 司令長官:近藤信竹中将

第四戦隊第一小隊 司令官:近藤信竹中将
重巡洋艦:愛宕、鳥海
第五戦隊 司令官:高木武雄中将
重巡洋艦:妙高、羽黒
第三戦隊第一小隊 司令官:三川軍一中将
戦艦:金剛、比叡
第四水雷戦隊 司令官:西村祥治少将 軽巡洋艦:由良
第二駆逐隊 司令:橘正雄大佐
駆逐艦:五月雨、春雨、村雨、夕立
第九駆逐隊 司令:佐藤康夫大佐
駆逐艦:朝雲、峯雲、夏雲、三日月
航空母艦:瑞鳳
油槽艦:健洋丸、玄洋丸、佐多丸、鶴見丸
第七戦隊(融資隊) 司令官:栗田健男中将
重巡:三隈、最上、熊野、鈴谷
第八駆逐隊 司令:小川莚喜大佐
駆逐艦:朝潮、荒潮
第二水雷戦隊(護衛隊) 司令官:田中頼三少将 軽巡洋艦:神通
第一五駆逐隊 司令:佐藤寅治郎大佐
駆逐艦:親潮、黒潮
第一六駆逐隊 司令:渋谷紫郎大佐
駆逐艦:雪風、時津風、天津風、初風
第一八駆逐隊 司令:宮坂義登大佐
駆逐艦:不知火、霞、陽炎、霰
哨戒艇:哨戒艇1号、2号、34号
油槽艦:あけぼの丸
第一一航空戦隊 司令官:藤田類太郎少将
水上機母艦:千歳
水上機母艦:神川丸
駆逐艦:早潮
哨戒艇:第35号哨戒艇
工作船:明石
ミッドウェー諸島占領隊
輸送船18隻(清澄丸、ブラジル丸、アルゼンチナ丸、北陸丸、吾妻丸、霧島丸、第2東亜丸、鹿野丸、明陽丸、山福丸、南海丸、善洋丸 )
油槽艦:日栄丸
第二連合特別陸戦隊 司令官:大田実(海軍)大佐
横五特(横須賀第五特別陸戦隊)、呉五特、第一一設営隊、第一二設営隊、第四測量隊
陸軍一木支隊 支隊長:一木清直(陸軍)大佐

第一航空艦隊(第一機動部隊) 司令長官:南雲忠一中将

第一航空戦隊 司令官:南雲忠一中将
航空母艦:赤城(零戦21 九九艦爆21 九七艦攻21)、加賀(零戦21 九九艦爆21 九七艦攻30)
第二航空戦隊 司令官:山口多聞少将
航空母艦:飛龍(零戦21 九九艦爆21 九七艦攻21)、蒼龍(零戦21 九九艦爆21 九七艦攻21)
第八戦隊 司令官:阿部弘毅少将
重巡洋艦:利根、筑摩
第三戦隊第二小隊
戦艦:榛名、霧島
第十戦隊 司令官:木村進少将 軽巡洋艦:長良
第四駆逐隊 司令:有賀幸作大佐
駆逐艦:嵐、野分、萩風、舞風
第十駆逐隊 司令:阿部俊雄大佐
駆逐艦:風雲、夕雲、巻雲、秋雲
第十七駆逐隊 司令:北村昌幸大佐
駆逐艦:磯風、浦風、浜風、谷風
油槽艦:東邦丸、極東丸、日本丸、国洋丸、神国丸、日朗丸、豊光丸、第2共栄丸

第五艦隊(北方部隊) 司令長官:細萱戊子郎中将

本隊 第五艦隊司令長官直率
重巡洋艦:那智
駆逐艦:雷、電
第四航空戦隊(第二機動部隊) 司令官:角田覚治少将
航空母艦:龍驤、隼鷹
第四戦隊第二小隊
重巡洋艦:高雄、摩耶
第七駆逐隊 司令:小西要人中佐
駆逐艦:潮、曙、漣
補給船:帝洋丸
第一水雷戦隊(アッツ攻略部隊) 司令官:大森仙太郎少将 軽巡洋艦:阿武隈
第二一駆逐隊 司令:天野重隆大佐
駆逐艦:若葉、初春、初霜
輸送船:まがね丸、衣笠丸
アッツ島占領隊
輸送船:1隻
陸軍北海支隊 支隊長:穂積松年(陸軍)少佐
第二一戦隊(キスカ攻略部隊) 司令官:大野竹二大佐
軽巡洋艦:木曾、多摩
第六駆逐隊 司令:山田勇助中佐
駆逐艦:響、暁、帆風
第13駆潜隊:駆潜艇3隻
輸送船:球磨川丸・白鳳丸・秋鳳丸・俊鶴丸・栗田丸
キスカ島占領隊
輸送船:2隻
特務艦:浅香丸、白山丸
舞鶴鎮守府第三特別陸戦隊 指揮官:向井一二三(海軍)少佐
特設水上機母艦:君川丸
駆逐艦:汐風

第六艦隊(先遣部隊) 司令長官:小松輝久中将

本隊
軽巡洋艦:香取
第八潜水戦隊(先遣支隊)
潜水母艦:愛国丸、報国丸
潜水艦:伊15、伊17、伊19、伊25、伊26、伊174、伊175、伊122
第三潜水戦隊
潜水母艦:靖国丸
潜水艦:伊168、伊169、伊171、伊172、伊9、伊123
第五潜水戦隊
潜水母艦:りおで志゛やねろ丸
潜水艦:伊156、伊157、伊158、伊159、伊162、伊164、伊165、伊166、伊121

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