日本屈指の愚将、牟田口廉也の糞っぷりがガチのクズwww

歴史
IJA_15th_Army_Commanders
1: 名無しさん@おーぷん 2015/05/17(日)11:47:25 ID:cpt
1右 インパール作戦という補給線を完全に無視した作戦を参謀長、師団長ほぼ全員が反対したにもかかわらずを強行実施、結果7万人の餓死者を出す。
2左 盧溝橋事件の引き金を引き、日中戦争が勃発する。
3中 「周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人はもともと草食動物なのである。これだけ青い山を周囲に抱えながら、食糧に困るなどというのは、ありえないことだ」

4一 「皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。
日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。」
5三 現場で兵士が飢えているのを横目に牟田口は司令部で芸者をはべらせ、たらふく飲み食いしていた。

6指 敗色濃厚になると一目散に帰国。帰国の際船に乗せたのは負傷した兵ではなく、芸者や酒だった。
7游 牛に荷物を運ばせ、食料としても利用する「ジンギスカン作戦」を実施。なお牛はジャングルの移動に不向きで牛のエサもろくに用意できなかった。
8二 戦後、中華料理屋「ジンギスカンハウス」を開店
9捕 戦後、インパール作戦失敗の責任を問われると「あれは部下の無能さが招いたものだ」と主張、死ぬまで自説を曲げず、死の直前まで兵士への謝罪の言葉はなかった。

P先 終戦直後、連合軍に戦犯として起訴されたがあまりの無能さ故、中将という高い身分でありながら不起訴処分になった。(連合国の勝利に貢献したからであるという説も)
P中 Googleで「愚将」と検索するとトップにあがる。
P抑 死後、遺言で自分が悪くないことをかいたパンフレットを参列者に配布。

牟田口廉也
牟田口 廉也(むたぐち れんや、1888年(明治21年)10月7日 – 1966年(昭和41年)8月2日)は、日本の陸軍軍人。陸士22期・陸大29期。最終階級は陸軍中将。盧溝橋事件や、太平洋戦争開戦時のマレー作戦や同戦争中のインパール作戦において部隊を指揮した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/牟田口廉也
Lieutenant General Reiya Mutaguchi, Commander of the 15th Army of the Imperial Japan Army

3: 名無しさん@おーぷん 2015/05/17(日)11:49:34 ID:LDX
こいつさえ居なければと考えると虚しさが込み上げてくる

6: 名無しさん@おーぷん 2015/05/17(日)11:51:07 ID:5v4
一番の脅威は無能な味方


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Source: 不思議.NET

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