【閲覧注意】
東海村臨界事故をご存知だろうか?これはとある原発作業員が被曝して、このようになったのである。確かに原発は膨大なるエネルギーを供給するが常にリスクは隣り合わせ。 pic.twitter.com/iwXz8RREKw— 伊能忠敬 (@imotadataka) May 25, 2013
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「一ヶ所(沈殿槽)にウランが集まるような工場を認可した学者や政府にこそ責任があるはず。しかし、一切の責任をとらないまま、運転員にすべての責任を押しつけ、(東海村)臨界事故に幕を引いた。福島事故と共通部分があり、本当に残念」(小出裕章) pic.twitter.com/ww0JfoWpC7
— 小出裕章さんの原発即刻廃絶・図説集 (@koidehiroaki) December 7, 2013
東海村JCO臨界事故
東海村JCO臨界事故は、1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)である。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した。
1999年9月30日、JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重症となった他、667名の被曝者を出した。
(中略)
本事故の原因は、旧動燃が発注した高速増殖炉の研究炉「常陽」用核燃料の製造工程[7]における、JCOのずさんな作業工程管理にあった。
JCOは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用していた。
一例をあげると、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用するという手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。具体的には、最終工程である製品の均質化作業で、臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)に変更していた。
引用元: ・https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1637936871/
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Source: 不思議.NET
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