白人がアジア人を奴隷にしなかった理由・・・

歴史
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1: 風吹けば名無し 2020/06/20(土) 05:35:16.61 ID:EweXKcMk0
黒人は奴隷にしたのになんでされなかったんやろ

引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1592598916/

2: 風吹けば名無し 2020/06/20(土) 05:35:59.63 ID:9I7ttvqV0
してた定期
日本人は強すぎて無理だった

104: 風吹けば名無し 2020/06/20(土) 05:57:49.15 ID:vCSWi5d70
>>2
豊臣秀吉が九州でやってるポルトガル人だかスペイン人だかを見てガチギレしたんだったな。

豊臣秀吉

九州平定後、住民の強制的なキリスト教への改宗や神社仏閣の破壊といった神道・仏教への迫害、さらにポルトガル人が日本人を奴隷として売買するなどといったことが九州において行われていたことが発覚し、秀吉はイエズス会準管区長でもあったガスパール・コエリョを呼び出し問い詰めた上で、博多においてバテレン追放令を発布した。しかし、この段階では事実上キリシタンは黙認されていた。

キリシタンに対しては、当初は好意的であった。しかし宣教師による信仰の強制、キリシタンによる寺社の破壊、宣教師たちの牛馬の肉食、日本人を奴隷商品として国外へ売却していたことなどを理由に、天正15年(1587年)に伴天連追放令(バテレン追放令)を出した。ただしこの時の布告は強制的な禁教を伴うものではなく、宣教師たちも依然として日本国内で布教活動を継続することが可能であった。

秀吉が決定的に態度を硬化させるのは、慶長元年(1596年)に起きたサン=フェリペ号事件からのことである。幕末以降の歴史書・研究史においては、秀吉は宣教師の行いを通じてスペインやポルトガルの日本征服の意図を察知していたということが強調されている。イエズス会宣教師による日本征服計画があったのは確実であるが、スペインやポルトガル本国が宣教師たちの提案に賛同したかどうかは不明である。

豊臣秀吉

3: 風吹けば名無し 2020/06/20(土) 05:36:03.73 ID:xFxyugTj0
黒人より少なかったけど奴隷にしてたぞ

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Source: 不思議.NET

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