四大公害「水俣病」の舞台裏があまりにも闇深すぎる・・・

歴史
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1: 風吹けば名無し 2021/05/08(土) 07:11:38.96 ID:0IvSvFzB0
外国人記者ボコボコにしてたとか中学で習わんかったぞ

ユージン・スミス

ウィリアム・ユージン・スミス(1918年12月30日 – 1978年10月15日)は、アメリカの写真家。

ユージンと親交のあった元村和彦が同年秋に渡米した際、ニューヨークでユージンらに来日して水俣病の取材をすることを提案した。1970年代は水俣病裁判とも重なり、日本全国各地で公害が社会問題となっていた時期でもあった。

ユージンとアイリーンはこれに応じ、翌1971年8月16日に来日した。同年8月28日に日本で婚姻届を出し、東京都内のホテルで披露宴を挙げて夫婦となった。スミス夫妻は患者多発地域であった熊本県水俣市月ノ浦に家を借り、同年9月から1974年10月までの3年間、ともにチッソが引き起こした水俣病と、水俣で生きる患者たち、胎児性水俣病患者とその家族などの取材・撮影を行った。

1972年1月7日、千葉県市原市五井にあるチッソ五井工場を訪問した際、川本輝夫率いる水俣市からの患者を含む交渉団と新聞記者たち約20名が、チッソ社員約200人による強制排除に遭い、暴行を受ける事件が発生した。ユージンもカメラを壊された上、コンクリートに激しく打ち付けられて脊椎を折られ、片目失明の重傷を負った。

ユージン・スミス

Consuelo Kanaga (American, 1894-1978). W. Eugene Smith and Aileen, 1974

引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1620425498/

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Source: 不思議.NET

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