1582年6月2日、天下統一を目前にしていた織田信長が、家臣の明智光秀の謀反により、本能寺で自害。だが光秀は、「中国大返し」で戻った豊臣秀吉に敗れ、その天下はわずか11日で終わった。「戦国時代、最後にして最大の下剋上」といわれる。
主君・信長にパワハラを受けつづけた結果の謀反――つまり、「光秀の “私怨” が原因」というのが、人々が持つ本能寺の変のイメージだろう。だが近年、これを覆す「新説」が、次々と発表されている。
今回、紹介するのは、黒幕や共謀者と囁かれる8人の “真犯人” 。荒唐無稽な説もあるが、思わず膝を打つ説も。
(略)
以下では、8人の “真犯人” についての新説を、外川氏に解説してもらう。あなたの知らない光秀がくる。
●真犯人(1)豊臣秀吉
“天下統一を目前にしていた信長にとって代わり、自らが覇者となるために、秀吉が光秀を謀反へと導いた” という説。最終的に、本能寺の変で最大の利益を受けたのが秀吉だったことや、「中国大返し」の不自然なまでの動きの早さなどが根拠とされる。
「“黒幕” とまではいえませんが、『光秀との共謀があった』とすることは、否定しきれない有力な仮説。信長に対する不信感、警戒心は、光秀も秀吉も持っていたはずです。共謀の証拠は、勝者・秀吉により抹消されたとも考えられます」(外川氏の見解、以下同)
●真犯人(2)徳川家康
「家康は、『信長が自身(家康)の殺害を光秀に命じた』と察知し、光秀と共謀して返り討ちにした」という説。信長と徳川家康は同盟関係にあった。しかし、家康は嫡男と妻を、信長の命により死に追いやられていた。「本能寺の変」直前、家康が光秀からもてなしを受けていたことも根拠だ。
「光秀と家康の接点は、それほどなかったはずですが、この両者に仕えた武将が存在します。『この武将が、両者の間をつなぐスパイ、あるいは連絡役のような役割を演じ、謀議を交わした……』と想像することも可能でしょう」
●真犯人(3)濃姫
(略)
●真犯人(4)足利義昭
(略)
●真犯人(5)長宗我部元親
(略)
●真犯人(6)正親町天皇
(略)
●真犯人(7)森蘭丸
(略)
●真犯人(8)イエズス会
(略)
(続きはソースにて) https://smart-flash.jp/sociopolitics/91188/2
続きを読む
Source: 不思議.NET-日本史
コメント