1: ◆mZB81pkM/el0 (東京都) [US] 2019/09/30(月) 09:35:43.58 ID:2+tdgJ4j0● BE:844481327-PLT(13345)
茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」で起きた臨界事故から30日で20年が経つ。
被曝(ひばく)した住民らでつくる「臨界事故を語り継ぐ会」は、地元で17年続けてきた不安や要望を聞き取るアンケートを今年を最後にやめることにした。事故の記憶は薄らぎつつある。
(中略)
多い時は約30人いたメンバーも高齢化が進み、5人ほどに。
今後の活動は毎年9月30日前後に開く集会だけになりそうだ。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASM9V53VHM9VUJHB00F.html
東海村JCO臨界事故
東海村JCO臨界事故は、1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)である。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した。
1999年9月30日、JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重症となった他、667名の被曝者を出した。
(中略)
本事故の原因は、旧動燃が発注した高速増殖炉の研究炉「常陽」用核燃料の製造工程[7]における、JCOのずさんな作業工程管理にあった。
JCOは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用していた。
一例をあげると、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用するという手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。具体的には、最終工程である製品の均質化作業で、臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)に変更していた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/東海村JCO臨界事故
引用元: ・東海村JCO臨界事故から20年
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Source: 不思議.NET
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