壬辰倭乱当時、朝鮮軍「MOAB(全ての爆弾の母)」を使用した
「飛撃震天雷」より5倍爆発力が大きい最先端爆弾「震天雷」の使用確認
2017年4月、米軍は、アフガニスタン東部ナンガハル州にあるIS拠点にすべての爆弾の母と呼ばれるスーパー爆弾「MOAB」を投下した。巨大な破壊力を持つことが知られていたMOABが初めて実戦で使用されたものだった。当時MOABはIS本拠地であるトンネルを完全に破壊しただけでなく、周辺を焦土化させIS隊員94人を全滅させたことが分かった。
1592年、日本の侵略で始まった壬辰倭乱の時、朝鮮軍も陸戦で、当時としては最先端の爆弾である「震天雷」を使用したことが確認された。朝鮮軍の主力兵器として知られている飛撃震天雷より重量も重く殺傷力も5倍以上であったことが確認された。
チェ・ヨンソク科学技術連合大学院大学(UST)招聘教授は19日、「壬辰倭乱の時、陸上戦闘で使用された爆弾である「震天雷」は「飛撃震天雷」より5倍以上の殺傷力を備えた大型爆弾で日本軍を討伐・撃退するために重要な役割をした先端兵器であった」と述べた。チェ教授(前韓国航空宇宙研究院院長)は神機箭や亀甲、各種火砲などを研究、復元した高火器の専門家であり、震天雷の研究結果を、全羅北道高敞郡で開催された「飛撃震天雷保存及び活用事業学術大会」で発表した。
チェ教授は1635年に発刊された「火砲式諺解」に「震天雷は大碗口で発射し、飛撃震天雷は中碗口を使用した」とされており、1694年に編纂された江華島地理誌「江都志」、英祖の時から記録した「日省録」などでも震天雷の記録が残っているという点を挙げ壬辰倭乱の時に震天雷が使用されたと主張した。
「火砲式諺解」には、「震天雷は鉄鋳造して丸く胴体を作り重量が113斤(67.8㎏)、鉄蓋が10両(375g)、爆発を遅延させる主格は重量1斤8両(900g)、火薬5斤(3㎏)、殺傷用鉄屑である鉄菱30個を入れる」となっており、全体の重量が72㎏に達すると推算される。チェ教授は「記録には震天雷が飛撃震天雷より重量は5.6倍より重いうえ火薬も5倍多く入れ鉄菱も30個を入れて爆発力と殺傷力が5倍以上大きかった」とし「これは震天雷が倭軍を討伐して撃退するために大きな役割をした武器だったことを示している」と述べた。
実際に晋州博物館に保管されている壬辰倭乱当時の「ハンビョン日記」には、「外敵を討伐する策として震天雷よりも良いものがなかった」(1593年2月9日付)、「震天雷は効果があり、外敵の肝を冷やすのに極めて効果的で、安東陣営は3つだけしかなく火薬がなくなれば輸送することができない」(1953年1月16日付)という、内容が載っている。
チェ教授は「中碗口で発射していた飛撃震天雷とは異なり、震天雷はこれよりはるかに大きな大碗口で発射されたが、実物は残っていない」と世宗の時の総統碗口をもとに設計した大碗口の形状を公開した。彼はまた、震天雷が大碗口の中で爆発した場合の被害が大きいので安全な場所に隠れて、長い点火線を使用して発射したり、神機箭を用いて点火・発射したと推定した。 1815年発刊された「戎垣必備」は神機箭を利用して点火する「埋火法」が紹介されている。
チェ教授は「壬辰倭乱当時、海上戦闘では亀甲と板屋船の大型艦砲を用いて倭船を破壊・撃沈させたように、陸上戦闘では震天雷と飛撃震天雷などの爆弾で外敵を退けたことが明らかになった」と話した。
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Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ