何故、日本は謝罪せず、ドイツは謝罪するしかなかったのか

スレ主韓国人

何故、日本は謝罪しないで、ドイツは謝罪するしかなかったのか?
私たちは、一般的にドイツが降参して、すぐに東西ドイツが分断、そして冷戦とだけ記憶してますよね。
ドイツの降参から、東西ドイツの分断の間の期間はよく知りません。
しかし、この時期を調べれば、ドイツは日本とずいぶん違った歴史的な経路を歩んだ事が分かります。
第2次世界大戦直後の戦場で死ななかったドイツ軍は、全て英国・米国・フランス・ソ連の捕虜になり、過去、ドイツの占領地に残ったドイツの民間人は、みんな復讐の対象になりました。
ポーランド、ハンガリー、チェコ、ルーマニア、ユーゴスラビアなどの地で、数万から数十万人のドイツ人が、彼らがユダヤ人にしたように、単にドイツ人という理由だけで殺害されました。
ドイツ人という理由だけで強制収用所に閉じ込められ、彼らの財産は略奪されました。
ドイツの民間人の男女を引きずってきて、自分たちで自らの墓穴を掘らせた後、その場で銃殺した事もありました。
周辺国が行ったドイツ人に対する復讐は狂気に近かったのです。
その結果、1千万人を越えるドイツ人が本来暮らしていた土地から追放され、かろうじてドイツ本土に帰ってきました。
彼らの中には、ドイツの地を一度も踏んだ事がない人々もいました。
その他、300万人近いドイツ兵士がソ連の捕虜収容所で非人間的な生活をしました。
ソ連のインフラ再建に強制動員され、苛酷な環境で100万人近いドイツ軍は戦争以後にも命を失いました。
結局、生き残った200万人は数年間の捕虜生活の後、西ドイツ政府とソ連との交渉で、かろうじてドイツに戻る事ができました。
英国やフランスのドイツ軍捕虜は、ソ連の苛酷な環境は免れたが、これらも強制労働をしながらフランスと英国の工場と農地で奴隷のような条件で数年間仕事をしました。
結局、民間人、軍人は関係なく、ドイツの全国民はナチスに従った代価を払いました。
ドイツ人は、全ヨーロッパで忌避されるPersona non grataにされ、レストランや公園でもドイツ人は出入り不可という立て札がかかる程でした。
しかし、全ヨーロッパがドイツを敵対する状況で、ドイツが生存するには徹底的に謝罪して反省して、周辺国に許してもらう努力を見せなければなりませんでした。
そして冷戦は、ドイツに再び機会を与え、冷戦のおかげでドイツは再びヨーロッパの一員になる事ができました。
これが真の歴史の皮肉でしょう。

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Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ