カレンダーを421年前に戻してみよう。朝鮮王朝第30年(1597年)10月26年、朝鮮の運命がかかったこの日。
133隻の倭船(わせん)じゃ13隻の朝鮮水軍を撃破するために進軍。日本の侵略の野望が朝鮮半島に迫ってきたという。
しかし、朝鮮は世界4大海神と呼ばれ「李舜臣将軍」があった。
明らかに劣勢だった朝鮮は戦略と状況判断により日本を撃破。歴史はこの戦いを「鳴梁海戦」と記している。
それから312年が過ぎた1909年10月26年、この日の午前9時30分、中国のハルビン駅で銃声がなり響いた。
男性は泣きながら叫んだという。
その男性は安重根(アン·ジュングン)だった。安重根は同日に韓民族の敵であり、日本の首相である伊藤博文を暗殺。
その後、安重根はロシアの兵士に逮捕され中国の監獄に投獄された。安重根は国際法に基づいて処分してほしいと話したが、
日本は不法に裁判を進め安重根をテロリストと認定し死刑を宣告。
それから11年が過ぎた1920年10月26日、この日に5万人の日本軍を相手に韓国は2500人しか過ぎない兵力で
立ち向かい絶体絶命状態だった。そこで直接戦うのではなく地形を利用して戦うことを決断。
その結果、日本軍を撃破することが出来た。
歴史学者はこの戦いを「青山里大捷」と名付けている。
それぞれ別の10月26日に日本を撃破した日として韓国はそれを報じている。
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Source: おもしろ韓国ニュース速報