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思い出したくない歴史

西暦1555年、たった53人の日本人が、中国の浙江、安徽、江蘇の3省で略奪を行い、その後さらに南京城を攻撃し、明朝の4000人以上の官兵を殺し、震撼させた。
驚いたのは、中国のとんでもない弱さだ。
そもそも、日本人はどうして朝鮮を攻撃せず、こっちへ来たのか?

後期倭寇 -wikipedia-
後期倭寇の構成員の多くは私貿易を行う中国人であったとされる。後期倭寇の活動は交易と襲撃の両方、いわゆる武装海商である。主な活動地域は広く中国沿岸であり、また台湾(当時未開の地であった)や海南島の沿岸にも進出し活動拠点とした。また当時琉球王国の朝貢貿易船やその版図(奄美、先島含む)も襲撃あるいは拠点化しているが、しばしば琉球王府に撃退されている。また当時、日本の石見銀山から産出された純度の高い銀も私貿易の資金源であった。

『明史』日本伝には「(中国人)賊首毛海峰自陳可願還,一敗倭寇於舟山,再敗之瀝表,又遣其黨招諭各島,相率效順,乞加重賞」。また大太刀を振りかざす倭寇の戦闘力は高く、後に戚継光が『影流目録』と倭刀を分析し対策を立てるまで明軍は潰走を繰り返した。

Source: ( `ハ´)中国の反応ブログ