1: 2018/08/21(火) 08:48:30.50 ID:CAP_USER

「あまりにも勝ちたい」…韓国が憎らしい国
マネートゥデイ 韓国語

[イ・ジェウォンのその国、台湾そして反韓感情①] 韓流ブームの中心地台湾には根深い反韓感情…“ありがたみを知らない国”“裏切りの国”イメージ

(略)

台湾に反韓感情が広まった理由は何だろうか。複合的原因がむやみに絡まって現れたと見られるが、最も大きい理由は、ありがたみを知らないことに対する一種の裏切りと見える。台湾人と会話してみると『1992年韓国‐台湾断交』に対する話がよく出てくる。1949年、中華民国だった時期に修交し、長期に友好国として過ごした韓国が突然、断交を通知し、その過程が道義的ではなかったということだ。これに対して韓国人の多くは「『一つの中国』(一個中国政策)の原則により、中国の圧迫が激しかった」とか「台湾との断交がドミノのように行われている状況だったため、むしろ信義を長く守った方だ」と受け返す。

莫大な外貨準備高を基に他国と友好的な外交関係を維持していた台湾だったが、以前まで共産主義国とだけ交流してきた中国が、1978年、経済現代化を旗印に改革開放政策を始めて国際社会に出てきて、急激に無力化した。多くの国は「中国か台湾か」を選択しなければならなかったし、大多数の国は修交と通商を通じて“規模の経済”を実現できる中国を選んだ。韓国もこのような流れにより台湾と断交して“非公式最高関係”に切り替えた。

http://news.mt.co.kr/mtview.php?no=2018080911101164489&type=1

2: 2018/08/21(火) 08:48:48.92 ID:CAP_USER

わずか数か月前である去る5~6月にも、ドミニカ、パナマなどが相次いで台湾と断交して中国と修交した。もう台湾と公式外交関係を結んでいる国は20にもならない。だが、こうした過程で韓国に特に恨めしい感情を感じたのは、それ以前までの友好感が非常に大きかったし、政治的同盟が力強かったためだ。

多くの韓国人が知らないが、台湾(中国国民党)は大韓民国臨時政府を物心両面で支援した。当時、大韓帝国と同じく日本帝国の植民地支配を受けていた台湾は、1932年のユン・ポンギル(尹奉吉)義士の上海虹口公園義挙(4・29義挙)に対して深く感銘受け、本格的に大韓民国臨時政府を通じた抗日独立運動支援に出た。台湾初代総統のチャン・チェーシー(蒋介石)は義挙に対して「中国100万大軍も出来ないことを朝鮮の青年がやり遂げた」と賛辞した。だが、他国の亡命政府支援は容易ではないことだったため、国際社会の目を避けて、『中国国民党』や蒋介石個人の名義、あるいは彼の夫人宋美齢(ソン・メイリン)女史の名義で支援金を支給した。白凡キム・グ(金九)先生の秘書室長を務めたミン・ピルホ(閔弼鎬)先生は「私たちの対中国外交は『求吃的外交』(貰う外交)だ」とし、家族を養う生活費や事務所の維持費用などをすべて台湾の支援に頼ったと明らかにしたことがある。

双方の独立以降も韓国と台湾は両方とも共産陣営との戦いに突入する境遇に処した。中国では1946年に中華民国政府を率いる中国国民党と中国共産党の内戦が繰り広げられた。結局、共産党が勝利して国民党が1949年に台湾に敗走、中華人民共和国を建国した。韓国も朝鮮戦争を経験して南北が割れ、南側だけの政府を樹立しなければならなかった。中華民国は“反共”次元で似た状況に置かれた韓国を1949年1月、アメリカに続き世界で2番目に国として承認し、急いで公式外交関係を樹立した。このような過程を経た台湾は、抗日・反共同盟として編集された両国の関係が変わない強固なものであると認知することになったし、これがとりわけ韓国との断交を恨めしいと思った原因と解釈される。

ここにこうした『ありがたみの知らない国、韓国』というイメージが強固になったのは、日帝植民地を眺める視覚の差も寄与したようだ。台湾の歴史教科書と中国・韓国の教科書の間には日帝植民地時代を眺める視覚の差が大きい。3つの歴史教科書とも日本植民地期間に収奪と抑圧があり、それに伴い抵抗が激しかったと記述されている。だが、台湾は日帝が「近代化に寄与した」と記述する。実際、台湾の多数(80~85%)を占める内省人(中国明・清時代に移住した漢族や原住民など台湾っ子)の中には、日帝植民地の時より、その後に外省人(1949年に国民党が本土から敗走して国民党政府とともに移住した大陸人)が台湾に入ってきて内省人を圧迫したと考え、この時期をより苦痛に感じる人が少なくない。このため、私たちより日本に対する反感が少ない方だ。

3: 2018/08/21(火) 08:48:58.53 ID:CAP_USER

その他にも『韓国に対する劣等感』も台湾の反韓感情の原因に挙げられる。第2次世界大戦後の台湾と韓国の経済的発展の様相は似ていたが、1990年代中盤まで、台湾は国際的な力が強く、経済的にも“アジア四小龍”(台湾・韓国・香港・シンガポール)のうちトップに挙げられた。だが、今はサムスン、LGなどを筆頭に世界経済市場をリードする韓国と違い、台湾は韓国と競争する半導体・電気などの産業で次第に押された。2004年には平均国民所得も韓国が台湾を追い抜いた。もう経済的にも、文化的にも韓国は台湾をリードしているのが現実だ。

台湾人は歴史的にずっと、そしてわずか数十年まで、韓国人よりはるかに優れていると考えてきた。台湾の地理・歴史の教科書は、高句麗と渤海を中国の地方辺境政権の一つと解釈し、中国中心的思考を示す。また、中国の先進文化が地理的に近接した国に文化的・政治的・軍事的に影響を与え、実質的に藩属関係(属国)を形成したと説明し、韓民族に対して暗に優位的と考えるのに寄与した。このような考えのために敗北感がより大きかった。

また、1990年代末から哈韓(韓国熱気)や韓流ブームが生じ、2000年代に達して韓流ブームが強まり、一種の韓流バッククラッシュ(backlash・社会変化などに対する大衆の反発)も起きた。韓国の台湾に対する一方的な文化進出が不快だという世論が生じたのだ。韓流は2004年の航空機直航路開設など民間交流を拡大するのに大きな役割をしてきたが、同時に台湾人に「私たちの固有文化はすべて消えるのではないか」という恐れも起こさせた。(以下略)

4: 2018/08/21(火) 08:49:22.32 ID:CAP_USER

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Source: おもしろ韓国ニュース速報