1: 2018/10/23(火) 23:53:18.21 ID:CAP_USER

国家や民族には忘れてはならない日がある。特に足かせの近現代史を体験した私たち民族には、決して知らなかったり、忘れたりしてはならない日々が少なくない。10月26日もそのような日だ。

1909年10月26日午前、満州ハルビン駅に降りた伊藤博文を大韓義軍参謀中将の安重根義士が狙撃した義挙は私たち民族の独立意志を世界万国に知らせる契機になった。安義士は全世界の注目をあびた裁判で日本の大陸侵略意図を天下に暴露した。乙巳保護条約後、高宗が企てたハーグ特使派遣は当初の目的を完全に達成できなかったが、アン・ジュングンは偉業の真の目標を達成して殉国した。

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▲安重根義士殉国108周期追悼式[聯合ニュース資料写真]
(中略:安重根の遺書と遺骨捜査)

安義士は義挙後、獄中で「東洋平和論」を執筆した。東洋の代表的国家である韓中日3国がそれぞれ主権を持って対等な位置で国際社会で互いに協力して平和共同体を結成しようという主張だった。旅順を中立化した後、3国が代表を派遣して東洋平和会議を組織することを含み、共同銀行設立と共用貨幣発行などいくつかの具体的方案も提案した。

すでにその時、今の国連、ヨーロッパ聨合(EU)と同じ東アジア平和共同体を語り、巨大談論を提示した。それから100年がはるかに過ぎたが、東北アジアの真の平和はまだはるかに遠い状態だ。独立した祖国は南北に分断され、韓中日3国間相互関係も相変らず不安定だ。
(中略:過去の経緯)

何日か後、また「その日」がくる。109年前、アン・ジュングンは東洋平和を論じた。死を目前に控えた獄中でも平和共同体を話した。安義士が命をかけて得ようとしたのは単なる独立を越えるものだ。善悪の二分法を越える隣国との新しい共存と東北アジア平和秩序構築に対する渇望だったはずだ。

ファン・ジェフン論説委員

ソース:聯合ニュース(韓国語) [栗谷路(ユルゴンノ)コラム]忘れてはいけない「10月26日」
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2018/10/22/0200000000AKR20181022132500022.HTML

2: 2018/10/23(火) 23:53:44.40 ID:PWwWwxPi

人殺しが
3: 2018/10/23(火) 23:54:31.59 ID:8dSEu7US

テロリストしか誇れる奴がいない悲しい国だなw
6: 2018/10/23(火) 23:55:52.28 ID:/vli9iOv

テロリストが誇らしくて仕方がないキチガイ民族バカチョン

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Source: おもしろ韓国ニュース速報