韓国が、慰安婦の強制連行を示す決定的証拠だという資料がある。ところが、その資料を精査すると、全く異なる事実が浮かび上がってきた。東亜大学教授の崔吉城氏が解説する。
* * *
日本と韓国の間に燻り続ける慰安婦問題は、韓国の儒教的な貞操観と結びついて人権問題となり、政治利用されてきた。韓国で慰安婦は日本軍に徴用された被害者として扱われ、それが愛国者として崇められている。
しかし、慰安婦に関する戦時中の軍関連文書が多く発見されても、慰安婦が“従軍”であったという決定的な証拠が出てこない。元慰安婦たちが証言する“強制連行”の客観的な裏付けが取れないという事実が、両国の不和の根本原因として厳然として横たわる。
そんな中、2013年に韓国で『日本軍慰安所管理人の日記』という書籍が発刊された。同書は、ある朝鮮人が終戦直前に慰安所で管理人として働いた日々を綴った日記を、ソウル大学名誉教授の安秉直氏(アン・ビョンジク)が発見し韓国語に翻訳したもの。個人の日記でありながら、慰安所の業務日誌とも言える内容も記されている。これが、韓国で「日本軍による朝鮮人女性の強制動員の決定的資料」だとして大きな話題となった。
ところが、同書が日本でも紹介されたところ「慰安所は日本で言うところの遊郭、売春宿と似たような場所だった」と解説された。日韓で極端に相反する解釈がなされたのである。双方の正反対の意見を見た私は、慰安所の実態を知る上で貴重な研究資料となるこの日記を、先入観や偏見を排し反日・親日・嫌韓・親韓という立場を超えて客観的に読むべきだと考えるに至った。そして、安氏による訳だけでなく、日記原典とも照らし合わせながら1年以上かけて精読して上梓したのが『朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実-文化人類学者が読み解く「慰安所日記」』である。
朴氏は30年以上に渡り1日も欠かすことなく日記をつけ続けた。安氏により刊行されたのは、26年分存在する日記のうち、日本軍政下にあったビルマとシンガポールの慰安所の帳場人として働いた1943年と1944年の2年分である。
朴氏は穏やかで華やかな生活を送り、慰安所の仕事は規則正しかった。一方で、勤務する慰安所や住むところを変えることも多かった。当時は、戦争の前線を追って多くの商売が成り立っていた。軍需産業から性産業まで、多様な商行為が各地で行われていたのである。朴氏も、当該2年間だけでも釜山からビルマのプローム、アキャブ、ラングーン、シンガポールと移動し様々な慰安所に滞在している。その過程で朴氏は、職場が決まるまでは寝食する場所も定まらない毎日を送ることがあった。
「寝食をあの家、この家ですませていて、ほんとうにすまなく耐えがたい」
慰安婦を直接管理した朴氏が軍人であったかどうかというのは、日記の解釈の大きなテーマだ。そして日記から読み取れる、時に不安定な朴氏の生活は、彼が軍人や軍属ではなくただの民間人であることを如実に物語っている。
◆慰安婦は商売だった
以下ソース
続きを読む
Source: おもしろ韓国ニュース速報