関門地域と東アジアの文化交流の歴史を学ぶ「古代史シンポジウムinしものせき」が15日、山口県下関市の海峡メッセ下関で開かれた。5回目となる今回は「海で繋(つな)がる弥生人」をテーマに、研究者らによる講演と、パネルディスカッションがあった。
NPO法人「人類学研究機構」の松下真実氏は、朝鮮半島南部と九州・山口地域の遺跡から出土した人骨を対象に、身長や頭蓋骨の形状などを分析した。縄文人に比べ、弥生人は地域差が大きかった。松下氏は「弥生時代は渡来人の(交流の)濃淡によって、地域差が生じた」と自説を紹介した。
鳥取県文化政策課の河合章行氏は、山陰地方で出土する土器や宝飾用の玉から、交流の歴史をひもといた。「弥生時代後期には山陰と同じ土器や玉が、北部九州や朝鮮半島から見つかっている。海のルートが確立し、山陰の集団が日本海を行き交っていたとみられる」と述べた。
産経新聞 2018.9.16 07:07
https://www.sankei.com/region/news/180916/rgn1809160023-n1.html
始めから別々
こんな仮説が
>朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していた
という説が複数の学者から提唱されている。これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる 朝鮮語族に
属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は
北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。
またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。
この朝鮮語族話者の拡大及び日本語族話者の置き換えが起きた時期については諸説ある。
John Whitmanや宮本一夫らは満州から朝鮮半島南部に移住した日本語族話者が無文土器時代の
末まで存続し、琵琶形銅剣の使用に代表される朝鮮半島青銅器時代に朝鮮語話者に
置き換わったとしている。
一方でAlexander Vovinは朝鮮半島の三国時代において高句麗から朝鮮語族話者が南下し、
百済・新羅・加耶などの国家を設立するまで朝鮮半島南部では日本語族話者が存在していたとする。
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Source: おもしろ韓国ニュース速報