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日中の間に差が出る原因と比較

周知の通り、古代の中国は日本の先生だ。
日本の伝統文化はすべて中国と関係がある。
古代中国の強大さと繁栄に憧れ、日本は中国の後ろに1000年もついてきた。
しかし時代は変わった。
人も変わった。
世界は近代を迎えた。
列強が東アジアに侵入したときから、東アジアの分離が決まった。
中国・・・かつて一番強い帝国は列強に倒された。
そしてその倒した巨人の東に新しい新星が現われた。
この星が私たちの知っている日本だ。

なぜ近代化の流れに、封建国の日本と中国は違った結果になったか?
なぜ清の末期に国力が日本を越えていた中国は負けたのか?
当時の中国は鎖国政策で日本と同じ状況だった。
戦争に敗れたあと、両国の有識者は改革の道を模索した。
中国の光绪皇帝、日本の天皇、どっちも権力のない人だ。
中国の実権は慈禧の手に、日本の実権は徳川幕府の手にあった。
だが日本は中低の武士を蔑ろにしたから、大政奉還という変が発動され、国の権利は天皇の手に戻った。
当時日本の維新有識者の天皇をめぐった維新活動も効果があった。
だが当時の中国の維新派は自分の対象を変えていない。
実権のない皇帝を擁立して彼らの政策を実施し、実権を握った人は皇帝を忘れた。
だから中国の維新活動は失敗した。
日本の繁栄はその時からだ。
国のため、明治天皇は節約して金を借りて軍艦を造った。
中国の慈禧は自分の誕生日のために軍事費を使った。
両国の統治者を見ると、両国の運命がわかる。
工業時代の新興産物に対して、日本は積極的に受け入れたのにひきかえ、中国は勉強するどころか、排斥していた。
だから国が大きくても、いい兆候ではなかった。
優越な環境は国民に盲目の自負感を与え、乏しい日本は黙々と西方の文化を吸収した。
いつでも勉強し続ける精神こそ日本を中国の前に進ませた。
違った民族気質は両国の運命を違う道に歩ませた。

周知の通り、中国と日本は儒教文化だ。
同じ文化だけど、両者の内はぜんぜん違う。
中国の儒教文化体系は仁を中心に、日本は忠を中心だった。
これは中日両国の観念の違いの原因だ。
中国の儒教文化は三綱五常の礼製になり、日本は幕府の武家政治で武士道になった。
その結果、中国の儒学は試験のためになったが、日本は民族の魂になり、日常規範となった。
今の中国には儒学の遺風がない。
中国の儒学文化は科挙制度の排除とともに、なくなった。
日本社会で礼儀正しい人は彼らの魂に従っているのだ。
だから、唯物主義と無神論という科学的な潮流の中でも、ひとつの民族は自分の信仰と魂を持たなければならない。
国に自分の信仰がなければ、その民は無法で羞恥感がなくなる。

今の我が国では、偽りと詐欺が溢れている。
だが、多くの国民はGDP世界2位という偽りの繁栄にふけってる。
国民の素養は落ちている。
人性も麻痺した。
日本の社会は正常な軌道に乗っている。
もし中国が現状を変えられないと、我々の民族は世界に後れる。

長々と書いたけど、この文は祖国に私が期待してるってことだ。

Source: ( `ハ´)中国の反応ブログ