なぜ日本強制徴用被害者は笑っているのか
国立日帝強制動員歴史館に位牌8・15位牌奉安…遺族「安倍首相、謝罪で被害者を解放」
「日本に強制徴用された被害者たちの姿がとてもきれいだと思います。人知れぬ事情があるのでしょうか?」
15日午後1時ごろ、釜山市南区にある国立日帝強制動員歴史館5階「記憶の場」の入口横の壁面に埋め尽くされた「日本強制徴用被害者」の写真を見た多くの訪問者はこのような疑念を抱いている。
写真からは、一様に強制徴用当時の残酷な姿は見当たらない。 きれいな身なりにタバコを口にくわえている写真を見ると、むしろ強制徴用被害者の余裕が感じられるほどだ。
記憶の場に入っても事情は似ていた。 被害者の名前が書かれた位牌がぎっしり並べられており、強制徴用当時の被害者の写真が壁を取り囲んでいる。 ここの写真も強制徴用被害者たちの悲惨な姿を見ることができなかった。 「記憶の場」は、日本の国家総動員法で強制動員された犠牲者の魂を慰霊するために6月に造成された。
歴史館関係者は「日本強制徴用当時、被害者がよく適応しているような姿を見せるために人為的に撮影されたもの」とし「家族に送る写真なので心配をさせたくない被害者が苦労して大変な姿を隠すために演出したもの」と説明した。
当時の強制徴用被害者の生々しい話を聞くために遺族と接触した。
日帝強制徴用被害者遺族のキム・スンシムさん(60代半ば)は「ザ·ファクト」との電話インタビューで「10年前にこの世を去った父を思うと気分が悪くなる。 苦労してこの世を去った」とし「ある日慶尚南道南海にある裏山で燃料を求めて帰る途中、巡査に捕まり日本に強制徴用された」と話し始めた。
続いて「当時、田舎の青年30人余りがすべて逮捕された。 日本で作業をし、幼い年だという理由ではした金をもらった。幸いにも2年もしないうちに日本敗戦を受け、故郷に戻った」とし「間もなく令状が交付され、すぐに軍隊に入隊した。 その後、6・25戦争に参戦し、負傷して除隊した」と話した。
キムさんは「父が強制徴用された当時の資料がない」とし「父は日本強制徴用に続き、韓国戦争(1950~53)参戦まで経験したが、トラウマによってすべての写真など資料を燃やした。 当時の記憶を消したがっていた」と説明した。
安倍首相は「日本の安倍首相が謝罪をして遺族または生存している被害者の恨みを晴らすことができるよう政府がより積極的に乗り出すことを望む」と強調した。
日本の強制徴用被害者は、日本本土だけでなくサハリン、中国、フィリピン、東アジア各地に連れて行かれ、戦争物資を生産するなど、強制労働搾取に遭ったり、解放後も戻ってこられなかった朝鮮人たちだ。 彼らは782万人余りと推定され、1942年基準で朝鮮総督府統計年報に記録された当時の朝鮮の人口が2600万人余りであったことを勘案すれば、約4人に1人の割合で強制動員されたことになる。
一方、国立日帝強制動員歴史館の記憶の場には最大4000体の位牌が奉安できるが、現在、815柱の位牌があり、8月初めから全国の強制徴用被害者または遺族を対象に位牌安置のための申請を受け付けている。
Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ