30年経った市民の勤労挺身隊追悼碑…日本政府は?
「お金も儲けられ、勉強もさせてやる」
太平洋戦争末期の1944年5月に、光州と全羅南道と忠南などに住んでいた少女300人はこの言葉に騙され、日本の名古屋の三菱重工業の航空機製作所に去った。一日12時間ずつ働く重労働の生活を17ヶ月耐えた。賃金は一銭も受けなかった。強制労働であった。
1944年昭和東南海地震で死亡した三菱重工業勤労精神隊員を称える追悼碑
日本は数十年間、「強制労働はなかった」と主張して一貫したが、良心的な声を出す日本人も存在した。
「名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の高橋信(76)共同代表と小出裕(77)事務局長などがそうだった。1988年12月7日、市民の寄付を集め三菱工場の朝鮮人追悼碑を建立した。 1944年12月7日強制労働の中、突然発生した地震で死亡した朝鮮人6人を祈念したものである。
生存する被害おばあさんたちが日本政府と三菱を相手に名古屋地方裁判所に損害賠償請求訴訟を進行していた10年(1999~2008年)の間の訴訟費用と航空運賃、滞在費一切をサポートするなど、おばあちゃんの名誉回復と被害救済のために努力した。
また2007年7月から三菱の謝罪と自発的賠償を要求する「金曜行動」デモを448回続けている。
三菱の賠償金の支払いを促す日本の市民団体[連合ニュース資料写真]
韓国最高裁が先月29日、勤労挺身隊被害者が提起した損害賠償請求訴訟の上告審で、原告勝訴の判決に最も喜んだのも、彼らだった。彼らは先月30日、日本の東京都品川駅の前で開かれた集会で、「三菱は韓国の最高裁判決に従って徴用被害を賠償しなければならない。」と主張した。
三菱勤労挺身隊被害者追悼碑建設が7日で30周年を迎えた。一方、日本政府は、「1965年の日韓条約で歴史問題は完全に解決された」という立場を変えていない。
聯合ニュース
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Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ