文在寅大統領の「運命」日本語版が品切れになったそうですね
スレ主韓国人
「運命」日本語版品切れ(泣)
昨日、買おうかとすっごい迷っていたが、一日だけ考えてみようとしていたのに…(泣)
次に入って来るのは未定で一応注文はしました…
完売なんて…
文在寅の「運命」日本語版に追加された大統領の序文翻訳
日本の読者の皆さん、こんにちは。
この「運命」という本を通じて、皆さんとお会いできることを大変うれしく思います。
私は韓国の南の海辺にある、釜山の影島で育ちました。晴れた日には、影島の丘の上から対馬が見えました。水平線には、鉄器をいっぱいに積み込んで進む古代の伽耶の人たちの船が浮かんでいるように思ったものです。
今日の大阪や京都、奈良へと向かう百済や新羅、高句麗の人々がいて、釜山の草梁倭館へとやってくる日本の外交使節団や貿易商人たちがいました。荒波をものともせず、両国の国民は長きにわたり出会ってきました。海は両国を隔てる障壁でしたが、たがいをつなぐ道でもありました。海の向こうに自分たちを迎えてくれる人がいるという固い信頼がなかったなら、船人たちは勇敢に船の帆を張ることなどできなかったでしょう。
この「運命」という本を、韓国と韓国人を理解しようとする日本の読者の方々に出会いたいという、私からの招待状だと思って読んでいただけるよう願っています。古代から日本と韓国をつないできた海上の道のように、日本の読者の皆さんの琴船線に触れることができたらと期待しています。
この本の主人公は、私と一緒に「運命」をつくってきた大勢の人々、そして彼らとともに生きてきた時代です。韓国の近現代史は挑戦の歴史でした。植民地化と分断、戦争と窮乏を乗り越えて、経済発展と民主主義を目指した歴史のうねりは厳しいものでした。そのうねりをつくったのも人ですが、いまにも氾濫しそうな激流を制していったのも人でした。
そのような人たちのうちの一人が盧武鉉元大統領です。盧大統領と私は、とても小さな泉で出会い、険しく遙かな水路を流れてきました。深い泉から流れ出る水は涸れることなく、川となり大河となって海へと流れていきます。盧大統領にとって、海とは「人が暮らす世の中」でした。彼は世を去るにあたり、海へと向かう深い泉を一つ残していきました。その泉があったからこそ、この「運命」という本も世に出ることができました。
「運命」が最初に出版されたのは2011年6月です。当時は厳しい逆風の時代で、政治は激しい波風にさらされていました。国民たちは希望と絶望の谷間で、痛切な思いで道を探し求めていました。そうした国民たちに、これまで大韓民国が歩んできた歴史の軌跡を示したいと思いました。私たちは試練を突破して未来へと進んでいくことができるのだという、自負心と信頼を呼び起こしたかったのです。
盧大統領と私は同時代の多くの人たちと同じく、貧苦のなかで育ちました。それでも歴史の発展と正義を信じていました。韓国のすべての人がそれぞれの胸の中に、小さな泉を抱いて生きてきました。
よい暮らしはしたいけれど自分だけそうなりたいとは思わない、自由に生きたいけれど自分だけそうなるのではだめだという、そうした思いが集まって歴史の力強い流れとなり、広場に輝くろうそくの灯となったのです。
今年は小渕恵三総理大臣と金大中大統領による「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ共同宣言」から20年という節目の年です。1998年に両首脳は、不幸な歴史を直視して未来へと進もうという、国民たちの思いを盛り込んだ両国関係の新たな道しるべを築きました。数千年にわたって日本と韓国は、東アジアの文明をともに花咲かせてきました。両国は交流と協力を通じて共同繁栄の実を結んできた、かけがえのない経験をもっています。イデオロギーと戦争に染められた激動の近現代には大きな苦痛も経験しましたが、民主化と経済発展という光り輝く成果も得たのです。「金大中・小渕共同宣言」が指し示している平和と繁栄の未来は、両国がともに歩むことで十分に到達可能な道なのです。
私たちの祖先が荒海を渡って相手のもとへと向かうことを可能にしたのは、友情と歓待の力でした。強風が波を起こすように、両国関係は常に順調に進んでゆくだけではないかもしれません。しかし、私たちがともに育んできた文化と歴史の根源は国民たちの心の奥深くにあって、たがいに近づこうと引き寄せあっています。私たちはやがて真の友人となるでしょう。
この本が日本と韓国の国民の心をつなぐうえで、ささやかな力となることを願い、日本の読者の皆さんに韓国の国民からの友情の挨拶をお伝えします。ありがとうございます。
2018年10月
文在寅
ポムプ
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Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ