ドイツと日本の国歌斉唱問題
何処かの韓国人
ドイツの国歌は「ドイツの歌」です。
この歌はオーストリアの作曲家ヨーゼフ・ハイドンが1797年当時、自国の皇帝の誕生日に捧げた曲にドイツの詩人アウグスト・ハインリヒ・ホフマン・フォン・パラスレーベンが1841年に1~3節に歌詞を付けた…というものです。 だから実はナチスと直接的な関係はありません。
それなのに、ドイツの国歌は1節、2節はほとんど歌わないのです。
3節だけが国歌として認められています。
第1節は19世紀に作詞され、領土拡大的な帝国主義的内容が盛り込まれていて、歌えばナチス扱いされます。
ドイツ国内でも当然歌わないと聞きました。
2節は時代に合わない歌詞なので、ほとんど認められません。
ドイツでも右翼がこの曲の1、2節まですべてを国歌として認めるよう要求したが、ドイツ憲法裁判所は1990年に3節だけを国歌と認めました。
ナチスは、1番が好きでした。
「すべてに優先したドイツ」という部分を「ドイツが最高」と解釈しました。
1936年ベルリン五輪の開幕式でヒトラーがスタジアムに入ると、観衆が歌った歌も1番でした。
第2次世界大戦終戦後、連合国は「ドイツの歌」をナチスの象徴と考えて禁止しました。
論議の末、西ドイツ初代首相のコンラート・アデナウアーが当時大統領テオドア・ホイスに「公式席上で3番だけを歌う条件でドイツの歌を再び国歌に指定してほしい」と要請し、ドイツの歌は再び国歌になりました。
その後、ドイツ右派を中心に1~3節すべてを国歌として再採択しようとする動きが広がると、ドイツ憲法裁判所は1990年の3節だけが国歌だと宣言しました。
ナチス党のシンボル曲だったホルスト・ヴェッセルの「旗を高く掲げよ」」は当然、歌えません。
君が代も曲そのものは日本帝国主義とは関係ありません。
913~914年に編纂された『古今和歌集』に収録された短歌で、19世紀後半に西洋式の曲調をつけて今に至るようになりました。
問題はこの君が代が侵略戦争を起こした軍国主義を象徴する曲です。
この君が代が軍国主義を象徴するということは、日本国内でも大きな論議あります。
君が代は「日の丸」とともに侵略戦争を起こした軍国主義を象徴しています。
これに対し、日本では日本教職員組合(日教組)など教師を中心に「思想と良心の自由を保障する憲法と教育基本法に反する」として、君が代の斉唱を拒否し、保守派と対立してきました。
1965年の大阪府立高校の日の丸掲揚反対事件に続き74年には鹿児島県のある中学校校長が日の丸、君が代 問題で自殺し社会を騒がせました。
1998年、埼玉県立所沢高校では「卒業・入学式ボイコット事件」が発生するなど、日本国内でも君が代は「熱い話題」となっています。
1999年に再び国歌に認定されましたが、これは日本社会が再び軍国主義化することと大きく関係しています。
この軍国主義の拡散に抵抗する多くの日本人がこれに抵抗しました。
浜崎あゆみという歌手は2005年エキスポで「君が代」を歌うことを拒否し、平和を歌う曲を歌いました。
日本とドイツを比べるとこのように異なります。
君が代とドイツの歌は、両方とも第2次世界大戦以前に作られた、第2次世界大戦の戦争犯罪とは関係のない曲です。
しかし、戦犯勢力が好んで歌い、自分たちの民族主義を強化するために、他民族を抑圧するためにこの歌を使いました。
だからドイツでは問題になる部分を最初から排除することを憲法裁判所がクギを刺したんです。
ところが、日本は反省もせず、それとなく内部の反対を無視して国歌にしたのです。
君が代は軍国主義の復活を象徴し、陰湿な試みをオリンピックで行うのです。
西洋人たちはあまり関心がないから、それとなく五輪にジョン・レノンの「イマジン」と一緒に叫ぼうとしているんです。
もしドイツW杯やオリンピックで「ドイツの歌」第1節を歌うとしたら、全世界から葬られるでしょう。
でも日本は普通に歌うじゃないですか。
オリンピックで君が代を歌うのは本当に悪いことです。
歴史の歪曲と反省のないところを何度も繰り返しているのです
Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ