2007年に日本で変わったメディア報道に接した。東京・池袋にあるラーメン店の話だ。
46年間にわたりラーメンを作り続けた主人の足の調子が悪くなり、厨房に立ち続けることができず、閉店を決めたのだ。閉店当日には全国からラーメンファンが押し寄せた。数百人が店の前に並んだ。夕方を迎える前に400杯を完売した。主人が店を閉めようと出てきた。日本では廃業することを「暖簾を下ろす」という。ファン数百人はその光景を店の前で見守った。主人は暖簾を下ろして一礼した。ファンは「ありがとう!」と叫んだ。
日本で接した二つのメディア報道が胸に残っている。一つは2011年の東日本大地震に関する報道だ。1万8000人が死亡し、原発が破壊されるという大惨事にもメディアは冷静だった。セウォル号事故当時の韓国メディアのように報じていたならば、日本はその時に崩壊していたのではないかと思う。もう一つがそのラーメン店の話だ。主人はラーメンを「世界最高の一杯」にするために生涯をささげた。健康を損ねて引退する彼に対し、メディアは惜しみない賛辞を送った。新聞は社会面トップで扱った。テレビ局はヘリコプターを飛ばし、店の前の行列を生中継した。
主人は100人を超える弟子を育てた。弟子とは言っても、経済的地位は最低賃金を受け取る調理補助アルバイト以下だった。それでも彼らが独立を夢見て、主人のノウハウを学んだ。日本ではこの過程を「労働」ではなく「修業」と呼ぶ。主人は独立する弟子に「暖簾分け」を認めた。独立後に主人の商号を無償で使うことを認めたのだ。その主人は3年前に世を去ったが、彼が残した「大勝軒」という商号は数多くの暖簾の上で命をつないでいる。自営業が日本で進化する方式だ。
10年前、東京での特派員生活後期を東京西部の小さな町内で過ごした。大規模商圏に挟まれ、通勤時間には急行が止まらない場所だ。そんなところに有名店が多かった。特にパン店はすごかった。創業70年を超えるパン店があり、天然酵母を使い、全国に名を馳せた店もあった。ある店は一人で焼いたパンが売り切れると店を閉めた。立て看板を片付けると自宅へと帰っていった。そこはチェーン店のパンよりも割高だったが、独創的だったからこそそれが可能だった。住民はその独創性に代価を払った。
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)社会部長
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
丁酉再乱(慶長の役)の際に日本に連行された儒学者、姜沆が当時の日本について書いた「看羊録」にこんな一節がある。「日本はどんな才能、どんな物であっても必ず天下一を掲げる。壁塗り、屋根ふきなどにも天下一の肩書が付けば、多額の金銀が投じられるのは普通だ」というものだ。つまり、つまらない技にも「天下一」があり、それが認められると権威となり、報酬が支払われることを言っている。日本の自営業は400年以上、そうした土壌で成長した。そんな日本の自営業ですら、人口減少、高齢化、新世代の価値観変化で縮小しているという。
韓国の自営業は日本に比べ深く根付いてはいない。ならばもっと関心を持って応援すべきだが、反対に向かっている。大規模資本の独占を非難しつつ、どんな分野でも大企業の商品を好む。首都圏の店舗賃料は日本を上回り、賃金も日本の水準に近づいた。資本、地主、政府が同時に自営業を攻撃する。こんな政府が自営業担当の秘書官を青瓦台(大統領府)に置くのだという。ポスト一つを設けることで、大企業やビルオーナーに矛先を向けるのではなく、最低賃金をまず韓国に適した水準に合わせるべきだ。
それでも本質は実力だ。飲食店に行けば、主人の多くは調理場ではなくレジにいる。人気エリアには内装にばかり凝ったおしゃれな店が立ち並ぶ。町工場は独創性よりも低賃金に死活を懸ける。韓国の自営業には匠は少なく、経営者ばかりが多い。見下して言っているわけではない。相対的にそうだと言っているのだ。上の世代は日本に行けば、ソニーの電子製品を購入した。最近の世代が日本に行って感動するのは、日本の自営業がつくり出した小さな「天下一」だ。環境がいくら劣悪でも本質を無視してはならない。
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Source: おもしろ韓国ニュース速報