明治維新の直後、国政を総括する最高権力機関として存在していたのが太政官だ。
1877年3月29日、太政官は内務省の問い合わせに答える指令を確定させた。
「竹島外一島の儀、本邦関係無きの儀と相心得べき事」。
当時日本が言及した「竹島」とは鬱陵島で、「一島」とは、添付された略図に「竹島」と共に登場する「松島」、すなわち独島だった。
日本が、独島は朝鮮領であることを公に認めたという明白な証拠だ。
韓亜文化研究所の代表を務める著者は、韓国有数の独島(日本名:竹島)専門家だ。
柳氏は、検証されていない独島情報があふれる中で、冷静かつ緻密に「事実確認」を進めた。
『世宗実録』に登場する于山島は、武陵島(鬱陵島)から天気のいい日にだけ肉眼で見えると記録されており、この条件に合う島は独島だけだ。
1904年に日本は独島を「無主地」だと言い張って自国領に編入したが、それ以前に日本人は独島にアシカを捕りに行く際、大韓帝国の鬱陵島の島監に輸出税を納付していた。
後に日本が主張する「固有の領土」論は、「無主地の先占」とはあべこべで合致しない論理だという。
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者
朝鮮日報日本語版 2018/08/05 05:02
http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2018080301625
何年も前にも見たぞ
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Source: おもしろ韓国ニュース速報