14日(現地時間)に訪れた公使館は、建物の前の交通信号や表示板を除けば昔の写真とほとんど違わなかった。太極模様が入った紺色の鉄製の玄関もそのまま再現された。建物の右側の駐車場跡には花柄が入った塀と不老門を設置し、平らな石を置いて小さな韓国式庭園を新しく作った。
公使館には無力な小国朝鮮の挫折と亡国の悔恨が染み込んでいる。1888年1月、初代公使の朴定陽(パク・チョンヤン)は赴任当時、「フィッシャーハウス」と呼ばれる近隣15番街の一般住宅に借りて暮らした。朴公使は朝鮮の自主外交を阻もうとしていた清の圧力にもかかわらず、クリーブランド大統領に単独で会って高宗(コジョン)の国書を伝えたことで、翌年、袁世凱に呼ばれた。その後、第2代の代理公使、李夏栄(イ・ハヨン)が現在の公使館に移った。高宗は朝鮮の自主性を見せようと1891年当時、皇室資金の内帑金の半分にあたる2万5000ドルを投入し、公使館の建物を取得した。海外公館のうち唯一の朝鮮政府所有の建物だった。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
http://japanese.joins.com/article/423/241423.html
だよねー
それに、朝鮮の借金の立替は
こんなものでチャラにならない
金額だったよねー
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Source: おもしろ韓国ニュース速報