暴力を振るう群衆にも名分がある。「1925年末、中国で群衆が新聞社を襲って放火すると、中国共産党の実力者だった元北京大学教授の陳独秀は、これを支持した。名分があれば群衆が暴力を振るっても構わないというこの考え方は、やがて毛沢東の文化革命へとつながった。
文化革命で中国人民がどれだけ大きな困難に遭遇し、中国の国家発展がどれだけ遅れることになったかは、今では誰もが知っている事実だ。どんな場合であっても、暴力は正当化されるべきものではない。暴力が正当化される社会になると、社会の全ての構成員がその被害者となる。単なる時間の問題なのだ。
93年前の隣国での出来事が脳裏をよぎったのは、先日紙面を飾った1枚の写真が心に焼き付いて離れなかったためだ。複数の市民団体の会員数百人が、拘置所から出てきたキム・ギチュン前大統領秘書室長の乗った車の前に立ちはだかり、これに飛び掛かろうとしている場面だ。誰かが車のフロントガラスを強くたたき、ガラスが割れてしまうといった事態も発生した。車の中の人々は生命の危機を感じたことだろう。こうした状況が約40分間も続いた。
金前室長は完全に釈放されたわけではなかった。法的手続きに伴う拘束満了日となっただけのことだ。近く最高裁判所の判決で懲役刑が言い渡されれば、また収監されることになる。こちらの方がより拷問と言えるだろう。それでも当の本人に暴力を加えなければならないと考えた群衆が、まるでこの世が無法地帯であるかのような振る舞いを見せたのだ。
驚くべきことは、その場に警察が待機していたということだ。しかし、暴力を振るうデモ隊のうち、誰一人として現行犯逮捕された者はいなかった。警察が「今後は名分のある暴力であれば大目に見る」と宣言しているかのような現場だった。他でもない警察が「現政権とキャンドルデモ隊の標的となった者は街頭で集団リンチに遭っても仕方がない」と、見て見ぬふりを決め込む国になり下がってしまったのだ。これこそ無法地帯だ。そうかと思えば、コメント操作事件で特別検事チームに容疑者として召還された政権の実力者は、支持者たちによりばら色の洗礼を受け、まるで凱旋(がいせん)将軍のように手を振った。
また、ソウル市西大門区新村洞では「パク・サンハク、テ・ヨンホの収監」を主張するデモ隊が、街道で大手を振るった。自らを「逮捕決死隊」と呼ぶこれらデモ隊は、テ・ヨンホ前駐英北朝鮮公使を「未成年者暴行犯」「平和統一を邪魔する者」と訴えながら、刑務所に収監するよう求めた。これはほかでもない北朝鮮がテ前公使を批判する際に使用する表現だ。北朝鮮に対しビラをばらまいたパク・サンハク自由北朝鮮運動連合代表には「後援資金を横領する北朝鮮人権商売人」として、罵倒(ばとう)を浴びせた。
こうしたデモ隊の姿を見ると、ここが北朝鮮なのではないかと疑いたくなってしまう。マッカーサーの銅像に火を放った犯人は、警察ですぐに釈放された。反米集会が行われるたびに全国を回って顔を出す。左右の理念問題ではない。法を守らなければ無法社会となる。そのジャングルに住む猛獣たちにとって、餌の左右は関係ないのだ。
金基哲(キム・ギチョル)論説委員
ソース:朝鮮日報/朝鮮日報日本語版【萬物相】大義の名の下に暴力を許す無法社会・韓国
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/08/24/2018082401664.html
加藤さんの時は玉子で済んでたのになw でも、こんなもんじゃね、チョーセンなんだからw
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Source: おもしろ韓国ニュース速報