日本にとって3番目の敵は中国だった、1番2番はどこ?
1923年、当時の裕仁皇太子は22歳、病気で亡くなった天皇に代わりその座について2年が経とうとしていた。このとき、重大な軍事戦略の問題に直面していた。大臣たちの意見は、彼をとても悩ませた。
2年前、アメリカ・イギリス・日本などの国が参加し、太平洋と東アジアの利権について話し合うワシントン会議が行われた。イギリス・アメリカ・日本の太平洋艦隊の比率は5:5:3となった。これの意味するところは、日本は戦勝国だが、海軍の軍事力を削減しなければならないという事だった。
Source: ( `ハ´)中国の反応ブログ