1: 2018/09/11(火) 12:58:25.42 ID:CAP_USER

針は白頭山(ペクトゥサン)鴨緑江(アムノッカン)流域の火山石である黒曜石を砕いて作った「砭石(ピョムソク)」に由来する。世界で最も古いことが分かったピョムソクが咸鏡北道(ハムギョンブクド)で発見され国立中央博物館に所蔵されていることを以前、明らかにしたことがある。私たちが現在使っている漢方医学の針の起源は満州遼河文明の古朝鮮医学にルーツを置いているわけだ。

これと関連して漢方医が過去「漢医学」を「韓医学」に変えたことを今も批判している人々がいる。漢字が中国文字を意味するように漢医学は中国伝統医学であって、あたかも別の医学のように誤解させるという意見だ。本当にそうだろうか?事実は漢字の勉強をちゃんとしなかった人々が「漢」という字の意味を誤解したところから始まったことだ。

私たちの大邱(テグ)慶北(キョンブク)は国語教科書に出てくる我が国初の国文始祖「梨花に月白く銀漢が三更のとき」を書いた梅雲堂・李兆年(イ・ジョニョン)を出した故郷だ。ここで銀漢は天の川を称する言葉で、漢の意味は漢の国ではなく「多い、大きい」という意味だ。従って以前の漢医学という用語は中国医学という意味ではなく、大きな医学という意味で付けられた名前だ。

日帝侵略前は「医学」といえば当然、漢方医学だったし「医師」は漢方医を指した。高宗(コジョン)が設立した王立漢方医学校の名前は「東済医学校」であった。1909年に「医師総合所」という団体が結成されたがそれは今の医師協会を意味する組織だった。

最初の近代式国立病院「広済院」の医者たちは大部分漢方医だった。しかし、日帝は韓日合邦後、民族医学の漢方医学の種を絶やそうと今の漢方医の師格の大韓帝国の医者を医生という名前に格下げし、追加輩出を遮断して自分たちが強制導入した西洋医学を専攻した医者に「医師」という呼称を付与した。当時の人々は以前の医者と区別してこれらを洋医と呼んだ。
(中略)

光復になるとすぐに日帝から弾圧された漢方医学もついに復活の翼を広げるようになり、1951年「大きな医学」という意味を入れて「漢医」という名称で伝統医学が復活した。1986年、中医学と区別される私たちの伝統医学の自主性をより明確にするために「韓医」にその名前を変えることになった。

それでは北朝鮮の場合はどうだろうか?北朝鮮もやはり解放後、日帝によって廃止された伝統医学を生き返らせて中国医学と区別して「東医」と名付けた。今日では私たちの歴史で自主性を回復した高麗時代を賛える意味で「高麗医学」と改称し、現在の漢方医師を「高麗医」と呼んでいる。

イ・スンリョル、ピョナンセサン(安らかな世の中)漢方医院大邱(テグ)本院院長
http://image.hankookilbo.com/i.aspx?Guid=b65601049bb5491fa0da01481f00b9a7&Month=201809&size=640

ソース:韓国日報(韓国語) [寄稿]漢方医学、そして高麗医学
http://www.hankookilbo.com/v/ccc0669a046542309e120198f2d42e4e

3: 2018/09/11(火) 12:59:48.04 ID:98N84Ocw

ウンコ万能ニダ
6: 2018/09/11(火) 13:01:42.25 ID:2L3DREZQ

漢字を捨てるから・・・
7: 2018/09/11(火) 13:01:43.93 ID:SpMTgGug

大いなる医学が、茶碗に十字に棒置いて水飲むとかかよ

続きを読む
Source: おもしろ韓国ニュース速報