なぜ日本はこのように私たちに対し敵対的なのだろうか?日本の私たち民族に対する植民支配は世界史に探せない特別なものであった。19世紀から始まった帝国主義列強がアジアやアフリカ一帯に進出して植民地にした時、日本の朝鮮支配のようなケースは一切なかった。
通常、植民支配は該当国家の外交権と軍隊統帥権者を奪い、行政権はそのまま置く場合が大部分だった。植民支配の目的自体が経済的収奪のためであり、あえて行政権まで奪う理由はなかった。植民支配の理論的根拠はマキャベリの「君主論」であるが、君主論にも植民地国家の行政権を奪うなとした。
日本もやはり台湾を植民支配しながら外交権と軍事権を奪い、行政権は台湾人に許容した。そのため台湾には日本の総督府が存在しなかった。ところが韓半島の植民支配は徹底して全てのものを奪った。1905年外交権を奪い、1907年、軍隊を解散させて、ついに1910年に行政権まで奪って朝鮮総督府を置いた。軍隊、司法、行政全てを掌握した日本は韓半島の経済的収奪だけでなく最初から私たち民族を地球上からなくそうとする政策を推進した。
朝鮮人に朝鮮の言葉を使わないようにして、日本と朝鮮が一つという内鮮一体思想を注入した。この政策は教育全般で推進され、実際、相当数の幼い学生たちに注入され自分が朝鮮人なのか日本人なのか識別できない場合もあった。それなら日本人たちはなぜこのように私たちに対してだけ他の定規を持って苛酷に植民支配をして、今でも自分たちがした事に謝らないだろうか?
筆者は長い間この問題について深く悩んできた。そうするうちに一つの糸口を見つけた。それはまさに今回、引退する明仁日王の発言だった。明仁日王は2001年12月、誕生日の記者会見で「私個人としては桓武天皇(日王)の生母が百済武寧(ムリョン)王の子孫だと『続日本記』に書かれており、韓国との縁を感じる」と話した。続日本記には793年当時、桓武日王が出した歴史書で桓武日王の母が百済武寧王の直系子孫であると書かれている。簡単に言えば日本王室が百済武寧王の子孫というものだ。
明仁の告白で日本国民は衝撃を受けた。自分たちが慕う国王が百済の後えいという事実を受け入れなかった。しかし、これは明白な事実だ。実際に日本王室は百済王室と深い関係がある。百済の始祖王温祚の母の召西奴(ソソノ)が日本に渡って建てた国がまさに「倭国」だ。私たちは長い間、日本人たちをののしる時、「倭奴(ウェノム)」といって侮辱し、「倭(ウェ)」という言葉が非常に悪い意味と認識されているが、実際、「倭」の意味は「優しい」、「敬う」という意味だ。換言すれば百済を敬う国という意味だ。
日本という国名が出てきたのは660年、羅唐聨合軍によって百済が滅亡して独自の国家体制を整えるため、「日が昇る根本の国」という意味の日本と付けた。だから日本は永く百済王室の分国であったのだ。このような歴史性を持っているので日本はこのような韓日関係を完全に消すために韓半島に対する世界史に類例がない植民地政策を行ったのだ。そして今も一切の謝罪と反省をしないでいる。真に嘆かざるをえない。
最近、日本の哨戒機が韓半島にいつも出没して緊張関係を作り、安倍総理はずっと極右的発言をして第二次世界大戦の戦犯国だった過去の日本に戻ろうとしている。国連指導の下に作られた日本の平和憲法はもはや紙切れ同然だ。このような日本とどの国が同盟国になろうとするだろうか?もはや日本は真に我が国と平和の連帯を望むなら、自らの誤りを一つ一つ公開し、キム・ボクトンハルモニの霊前に頭を下げて謝罪しなければならない。
キム・ジュンヒョク韓神(ハンシン)大学チョンジョ教養大学教授
ソース:中部日報(韓国語) [キム・ジュンヒョクの歴史と今日]明仁日王の告白と韓日関係
http://www.joongboo.com/news/articleView.html?idxno=1323881
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Source: おもしろ韓国ニュース速報