このような平和憲法の誕生過程を見れば聨合軍を構成した世界各国は日本の好戦性や侵略の歴史を看破したと見られ、日本をどれほど危険な存在と見なして戦争や武力をあきらめるという規定を最初から法令で釘を刺したのだろうか?
今、日本の安倍晋三首相はどうにか平和憲法を変えようとありったけの力をふりしぼっている。しかし、大多数日本人たちはこれに反対している。これを見ればたとえ過去の歴史に対する真剣な反省や被害国に対する真心に充ちた謝罪なしに戦勝国の強要により作られた憲法が、戦争の惨禍を体験した日本国民のかたい支持を受けているわけだ。
ところが安倍の政治姿勢を見ると過去の日本の侵略史を思い出さざるをえない。
(中略:善良な国民を殺戮と略奪の現場に追い出した豊臣秀吉の亡霊は20世紀に再び日本に蘇った。)
このような歴史を再確認してみれば、日本の平和憲法改正はアジアはもちろん世界平和にとって深刻な危険だ。それでも私たちは事態の深刻性に全く注目をしない理由が分からない。
16世紀始め、申叔舟(シン・スクチュ)先生は海東諸国紀で次のように話した。「彼ら(日本人)は強くて荒っぽく、武術と船に乗ることにたけていたが、…道理を問いてよくなだめれば礼儀をわきまえて朝聘し、そうでなければ略奪を日常的に行う。…夷狄を治めるということは外征(外国征伐)ではなく国内政治にあり、辺禦(辺境を守ること)ではなく朝廷(政治を論じて行う所)にあり、戦争ではなく士気高揚にある」この教えに従えば、日本の軍国化は他でもない私たちの手にかかっているのも同然だ。
歴史を見れば、私たちが強い時、日本は礼儀をわきまえて朝聘し、軍国主義は存在価値を失った。歴史的に日本の国力が私たちを追い越したきっかけは豊臣一族を滅ぼした徳川幕府が門を開いた明治維新(1867年)だった。この時期、日本は鎖国と統制を解いて国家体制を変革するが、朝鮮は鎖国と統制に固執して変革の機会をのがした。
日本の国力が私たちより進んだ時期は五千年の歴史でわずか150年余りに過ぎない。今、私たちはまぶしい速度で鎖国と統制を脱している。そしておりしも民主主義の花をパッと咲かせている。それなら歴史の可能性で見る時、私たちが日本を逆に追い越すのは時間の問題だ。
ところが油断はできない。それには日本の軍国主義があまりに強固で根が深いからだ。日本に軍国主義の風が吹くほど、私たちは気をしっかり持って民主主義の定着と政治の不安定解消のための制度改革を行わなければならない。
それでも平和を愛する大多数の日本人に誇らしい隣人になれば、日本軍国主義の亡霊は立つ場所を失う。「夷狄を治めるのは外征ではなく内政にある」という先賢の教訓を胸に深く刻もう!
/ムン・ソングン法務法人キル代表弁護士
http://newsimg.sedaily.com/2018/02/19/1RVRK9J3TZ_1.jpg
ソース:ソウル経済(韓国語) [コラム]日本の軍国化を警戒しよう
http://www.sedaily.com/NewsView/1RVRK9J3TZ
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Source: おもしろ韓国ニュース速報