そぼ降る雨の中、水色のレインコートを着た老人が登壇した。埋め尽くす観衆は一千人はいるだろうか、熱気が溢れている。老人は、大きな声でゆっくりと語りかけた。
「ご紹介にあずかりました具然竽(グ・ヨンチョル)です。軍艦島で六年暮らし、わたしが体験した事実を証言するために朝早く釜山を発ち、87歳の老骨に鞭打ちやってきました」
降り注ぐ雨をものともせずに、老人は訴えた。
「わたしが見た軍艦島は、わが民族の最も痛々しい記憶の場所だと思います」
演説は次第に熱を帯びてきた。ピンク色のカッパを着て傘をさしかけた女性は、心なしか目を潤ませているようだった。
軍艦島で6年生活した。強制徴用で連行されたひとたちは、日本の無慈悲によって、その苦痛を口では言い表せない。凄絶な人生、足枷がなかっただけで奴隷だよ、完全に」
「中ノ島という小さな島があって、そこで死体を焼く煙が日に1、2回必ず立ち上り、火葬されるひとたちはみんな朝鮮人だった」
「ユネスコに登録するならば、軍艦島の歴史的な事実を全部登録しなければならないのに、それを隠して、これは『国際的詐欺』じゃないか」
グ氏は、キョレハナ旅行事業団が開催した「徐勝(ソ・スン)教授と共に行く第2回東アジア平和紀行」のツアーで、「里帰り」も果たしている。受け皿となったのは長崎市の岡まさはる記念長崎平和資料館であった。毎日新聞(2016年10月9日)や長崎新聞(同年10月1日)の紙面では、長崎を訪れたグ氏が、端島の展示に朝鮮半島出身者の過酷な労働の記載がなかったとして不満を述べている。
また、中には記憶違いでは済まされない驚愕のエピソードも登場している。
「(朝鮮人たちは)動物の檻と変わりがない合宿所に集団で起居しながら、毎日迫りくる死の脅威にさらされていた」
「(終戦後)朝鮮人は、彼らが連絡船で夜逃げしたことを知った。(略)島に残ったのは朝鮮人と沖縄人だけだった。実に奇怪な状況であった。大人は皆、日本人が去ったその夜にとんでもないことがあったのだと疑ったが、よもや千人をも虐殺するなど、純朴な朝鮮人の想像をはるかに超えることだった。日本人が中国人だけを坑内に閉じ込めて入り口を爆破して皆殺しにしたのではないかと疑うようになった」
しかも直ぐバレル嘘を
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Source: おもしろ韓国ニュース速報