1: 2019/04/30(火) 12:21:15.86 ID:CAP_USER

2,300余年前、中国春秋戦国時代趙の武寧(ムリョン)王は果敢な推進力を持った君主であった。臣下らは蛮夷着る胡服に反対したが、彼は小そでが狭く長さが短い実用性がある胡服をしばしば着た。春秋戦国時代の大部分の王は車に乗るのが好きだったが、彼は馬に乗って直接先頭で騎兵を指揮した。

武寧王は後継者を選定する時、思いがけない選択をする。王妃が産んだ息子の代わりに後宮の孟姚が産んだ十二才の息子を恵文王にした。彼は恵文王を玉座に座らせた後、自身を主父と呼ばせて実権を行使しようとした。上王に残って絶対権力を継続できると考えたが、臣下らに追われて悲劇的な終末をむかえた。東洋の歴史に記録された初の上王の事例だ。

上王は自身が死ぬ前、王位を次の王に譲った前王を呼ぶ呼称だ。
(中略:中国の上王の事例)
朝鮮時代には太祖・正宗・太宗・端宗などが上王になった。高宗(コジョン)は日帝によって強制的に退位する悲劇を体験した後、上王に退いた。

明仁日王が30日の退位式を最後に30年間の平成時代を終える。日王の生前退位は江戸時代の1817年光格日王以来202年ぶりだ。終身日王体制に変わった1868年、ムツヒト日王以後では初めてだ。今年86才の125代日王明仁は父のヒロヒト日王が死亡した後、1989年即位した。

明仁の後に続いて長男、ナルヒト(徳仁)王世子は5月からレイワ(令和)時代を開く。東洋王朝の歴史を見れば上王が登場する時期は激変期だ。君主制時代では絶対権力者の王が二人以上存在すること自体がすなわち非常事態を意味する。

明仁日王は健康を理由に生前退位を望んだというが、その裏面で軍国主義復活を狙う安倍晋三政府の軍事大国化野心を心配せざるをえない。戦争可能な国家を夢見る隣国の情勢変化に緊張を緩めることはできない理由だ。

ホン・ビョンムン論説委員

ソース:ソウル経済(韓国語) [万波食積]上王
https://www.sedaily.com/NewsVIew/1VI1YUKH6L

2: 2019/04/30(火) 12:22:17.39 ID:31ihnFZQ

>>1
オマエラの頭の悪さがこっちは心配だよ。オマエラ日本人の園児以下の頭しかないやろ?大統領クラスでも
3: 2019/04/30(火) 12:23:17.81 ID:TbdOlK2I

こっちを見るなって
5: 2019/04/30(火) 12:23:30.83 ID:NWpScX98

なにが起こってももう心配で心配でしょうがないんやなあ

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Source: おもしろ韓国ニュース速報