韓国の全盛期の領土

スレ主韓国人

我が国・民族の全盛期時代と言えば

多くの方々が高句麗第19代太王だった広開土太王第20代太王長寿太王時代だっとします。
しかし、それ以前に東シナ海沿岸地方まで支配したわが国の韓国の歴史の1ページである高句麗第6代太王太祖太王時代がある。

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画像の説明

第6代太祖時代の各国の領土と勢力図(A.D125年頃)

太祖は南進政策を敢行して高句麗の影響力を揚子江以南まで拡大して、東は東沃沮などを掌握して、韓半島まで領土を拡大

日本のウィキペディア:実際の高句麗の最大版図

WIKIより「高句麗」の歴史帰属について
高句麗人はツングースに属するとみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語と考えられている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられ、現代の韓国・北朝鮮の祖とみなされる新羅と高句麗とでは民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、高句麗を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす充分な根拠がない。

東京大学社会科学研究所のグレゴリー・ノーブル教授は、「中国が高句麗を歴史的に中国の一部としたことに韓国が猛反発したものだが、高句麗が中国の文明との深い交流のなかから生まれてきたことを考えると、中国側の見方に根拠がないわけではない」と述べている。
黄文雄は著書で、「満州族の先祖が築いた高句麗と渤海」との見出しで、「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である」としている[30]。黄は、「ひるがえって、満州史の立場から見れば、3世紀から10世紀にかけて東満州から沿海州、朝鮮半島北部に建てられた独自の国家が高句麗(?~668年)と、その高句麗を再興した渤海(698~926年)である」と高句麗を満州史としている

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97

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Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ