ソニーが負け、サムスンが浮上すると、韓日関係が変わった。

[マネートゥデー東京=共同取材団、グォン・ダヒ記者][編集者注]15~22日、外交部記者団の一員と’韓日記者の交流プログラム’に参加して東京などで多数の日本国内の学者・ジャーナリストたちに会いました。 彼らが韓日関係についてまとめた分析などを選び、日本で見た韓日関係に対する見方や韓日懸案などを紹介します。

[the300][日本から見た韓国]①日本の反韓気流が2010年代から深まった理由

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「韓日ワールドカップ(2002年)、冬のソナタ(2003年)があった2000年代初めは(韓日関係が)ピークだった。 2010年代に入って批判的になった。 今も下り坂のようだ。 摩擦が多く生じる。」

日本で37年間滞在したイ・ジョンウォン早稲田大学大学院教授(アジア太平洋研究科)は、韓日関係の流れをこのようにまとめた。 「韓日記者交流プログラム」で東京を訪れた外交部記者団と会った時のことだ。 日本内の反韓の気流が昨年10月韓国最高裁の強制徴用の賠償判決以前から徐々に深化してきたという説明だ。

◇反韓気流は2010年から本格化

日本現地で会った他の専門家の診断も似ていた。 毎日新聞の澤田克己外電部長は現在、日本内の反韓気流が「最悪」だと評した。 「1999~2004年、ソウル特派員として勤務した後、日本に戻ってくる時までは、日本内の韓国に対する好感度が相当だった。 しかし、2010~2015年ソウル滞在後、再び日本に来た時は良くない方に完全に変わっていた。」

日本国内の世論が急変した背景には「揺れる日本の地位」があるというのが、現地専門家の共通した判断だ。 1980年代米国まで脅かした経済大国日本は1985年のプラザ合意後1990年代初めのバブル崩壊による長期不況とともに中国の浮上を経験する。

2008年グローバル金融危機後はG2(米国・中国)体制が強固化される。 2010年には、日本が中国に世界2位経済国(国内総生産基準)の座を明け渡したのだ。 韓国に追い上げられた時点でもある。

2000年代の末、スマートフォンの普及が本格化し、サムスン電子の影響力が大きくなる。 一方、世界的な名声を誇った日本のIT(情報技術)企業は衰退する。 ソニーも2010年代半ばに事業再編に’復活’する前まで長い赤字の沼をさまよう。

イ・ジョンウォン教授は「サムスンがソニーを圧倒したのが話題だった」とし、「日本の人々が防御的になり、その時から ‘嫌韓’というものが本格化した」と述べた。

◇韓日関係「相互補完」→「相互競争」

さらに長い構造的な変化もある。 韓日関係が「相互補完」から「相互競争」に変わったという診断だ。 木宮正史東京大学大学院教授(総合文化研究科)は1990年代の韓日関係を’非対称的・相互補完的’と規定した。 韓日間の経済力の差が明らかで、共通課題(北朝鮮)があり、協力点が明確だった時期だ。

ところが日本の長期不況、韓国の高速成長・民主化が重なり、韓日関係は「対称的・相互競争」に変わった。 木宮教授は「対称的な関係になったということは、互いの理解を促すことだけではない」とし、「近づきすぎると競争心を持つしかない」と語った。

この構造的変化が1965年以来、半世紀間で形成された韓日関係の均衡を揺るがす水準まで来た。 この7月に日本が3つの半導体素材の対韓国輸出管理の強化の決定を下したのが代表的だ。 韓日はこれまで歴史問題と経済・安保を分離して対応してきたが、この不文律を日本が破ったのだ。

イ・ジョンウォン教授は「優位な日本の経済力を徴用問題に対するカードとして公開使用した初のケース」とし、「先端技術に対する一種の牽制かもしれない」と指摘した。 韓日間の経済で競合する部分が増えて生じる亀裂の一断面ということだ。

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◇顕著な位相…敏感になった反応

地位が変わると、すぐに反応する日本内の気流も変わった。 専門家たちは、日本内の反韓気流が急激に拡散した具体的な契機としてイ・ミョンバク元大統領の独島訪問(2012年8月10日)、天皇謝罪要求発言(同年8月14日)を挙げた。

木宮教授は「日本は1980年代までは韓国が何を言ってもあまり関心がなかったが、その後は韓国が日本に何かをすれば無視しないし、対抗しようとしている。 日本の心理が少し変わった」と語った。

イ・ジョンウォン教授も「日本が大きく強かった1990年代初頭までは余裕があった」、「2010年代から日本が弱くなったという流れがあって防御装置が作用している」とした。

河野談話(1993年)、村山談話(1995年)、金大中・小渕共同宣言(1998年)など、過去史に対する日本の前向きな態度が2000年代以降出ていないのも同じ脈絡だとした。

このような流れの中2012年末、安倍晋三首相が’日本を取り戻す’というスローガンで選挙キャンペーンに乗り出すと、日本の有権者たちは歓呼した。 イ・ジョンウォン教授は「嫌韓論は、2000年代には日本の社会の外にあったが、安倍首相がこれを反映して主流メディアまでも取り上げるようになって嫌韓論が増幅されている」とした。

ただし、日本国内にも世代間格差が存在する。 日本経済が世界をリードしていた’80年代日本’を記憶する旧世代と’韓国と競争する日本’を生きる若い世代の違いだ。

木宮教授は、「若い人たちは生まれた時から韓国が良い競争相手だと見ていて拒否感がない」とし、「その反面、年配の方々は「もう韓国に遅れを取っている。 じっとしていられない」などの心理が作用しているようだと説明した。

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Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ