日本、嘘と詐欺の歴史、そして日王の正体

スレ主韓国人

日本の歴史歪曲と詐欺は由緒正しい伝統に近いでしょう。
代表的なものが「万世一系」だと自画自賛する日王の家系図です。

日本の国歌「君が代」は、905年後醍醐日王の命で編纂された古今和歌集にその原型が収録されています。
内容は、日王の時代が永遠にというものであり、日本では高貴な行事に読まれた歌でした。
これを1880年、現在の歌詞に編集して、フランツ・エッケルトの曲を受けて、日本の国歌である「君が代」になりました。

しかし、おかしいのは「君」という言葉が日本では「ちょっと」、「あなた」、「おい」など……。
相手を低く見る時に使用する言葉という事です。
国歌と言うのは、国民の士気高揚と国家に対する愛情を強化する目的で使用されるが、相手を低く見て呼ぶ言葉を国家の名前として使用するのは特異な事ですね。

これに対する疑問の答えは、「君」は他の意味が基になっているという事が説明できます。
日本語の「君」の別の意味は、王族を指すものであり、その対象は「金海金氏」です。
つまり、君が代の内容は金海金氏の世の中が永遠にという事です。
2009年、明知大学カン・ドンミン教授は、これに対する見解を明らかにしています。

金海金氏(キメキムシ、きんかいきんし、김해김씨)は、朝鮮半島の氏族の一つ。本貫を金海とする。現在の韓国最大の氏族集団である。

金海金氏の始祖である金首露王は膝下に10人の王子を置いており、長男に自分の帝位を譲り、2人の息子には妻のホ・ファンオクの家系を継いで行く様にしました。
残りの7人の王子はそれらに従う群れを率いて九州へ移住して定着し、その子孫が本州大和地域に進出して古墳時代を開きました。

「竜馬がゆく」という小説を通じて、日本人で無名に近かった坂本龍馬を、日本の歴史で最高の人物論として作った歴史小説家、司馬遼太郎は1971年に韓国の金海を訪問して、金海金氏が日本に大きな影響を与えた事を話しました。
司馬遼太郎は、日本に国家が形成される前に、多くの駕洛国の人々が日本に移住して、耕作地を作って文化を伝播したと話しました。

壬辰倭乱の時、加藤清正の先鋒だった沙也可は、自分の下にいた3,000人の兵力と共に、朝鮮に亡命し、後日、正二位に至るまでの貴重な持て成しを受けました。
彼の韓国の名前は金忠善であり、賜姓金海金氏の始祖になりました。
金忠善が多い姓と、本館のうち、金海金氏を選択した理由は、歴史を知る日本人に金海金氏は「天族」であり、彼らが言う「八百万の神」の原型だったからです。

初期の日王の家系図は金海金氏から作られ、その後、金海金氏と競い合ったのが、沸流百済系でした。
沸流百済は、海洋勢力として遼東と韓半島そして日本列島に渡って多くの拠点を持っていたが、高句麗の南下で、韓半島の本拠地を失って日本の国に定着し、飛鳥文明を作りました。

沸流百済系の勢力が強くなったが、金海金氏の勢力を圧倒する事が出来ず、古墳文明と明日香文明は7世紀まで共存の姿を見せました。
この時、力の均衡を崩壊させた事件が660年温祚百済の滅亡により多くの百済流民が日本に移住してきて発生しました。

百済系は金海金氏から日王の地位を奪って、奈良時代と平安時代を開きました。
これを示す代表的な記録が712年に発刊された「古事記」と720年に発刊された「日本書紀」の見解の違いでした。
古事記は金海金氏系列の歴史を重点的に扱い、日本書紀は百済系の歴史を重点的に扱ったものです。

特に「日本」という名は701年に公式化された国名で、これもまた百済系の国家を意味する言葉でした。

「万世一系」という日王の家系図は嘘です。
日王の系譜は金海金氏系列で開始し、百済の系列に引き渡される過程がありました。
また、日本の本来の国名は倭でした。

この様な事実を、日本の歴史学者たちはよく認識しています。
しかし、彼らは意図的にこれに対する議論や検証を回避しています。
その代わりに彼らは「任那日本府説」のような滝の水が下から上に遡るという方式の荒唐無稽な主張で、歴史の真実をごまかし、歪曲しているのです。

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Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ