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中国と日本の差は100年前よりも拡がっている・・・

日本にいる私は、中国と比べると複雑な気持ちだ。
中国の発展する道は長く、革命では解決できず、文明の差が大きい。
100年前、厳修が日本に行き、こう語った。
「文をもって国を治め、理をもって国を強め、商をもって国を富ましむる」
だがその100年後、100年前より離れている。
差は拡がっている・・・

厳修 -wikipedia-
厳 修(げん しゅう)は清末民初の教育家。字は范孫、号は夢扶または偍屚生。祖籍は浙江省慈渓県。
戊戌の変法が失敗した後、辞職して故郷に戻った。しかし中国には変法維新が必要と確信して、天津で教育事業を始めた。まず家塾である厳氏家塾を拡張し、張伯苓を招聘した。張伯苓は何度も外国の学校を視察し、厳修と張伯苓は厳氏家塾をもとに南開中学、ついで南開大学を創設した。また女子教育も重視し、厳氏女塾を創設した。これは後に厳氏女学、厳氏女子中学と改められ、1923年には南開女子中学となった。
1903年、日本の教育を視察する。帰国後、直隷学校司に任命され、1年の任期中に各府県に学堂を設立することと師範学校を設立することを要求し、天津模範小学、天河師範学堂、北洋師範学堂、女子師範学堂などを創建した。
南開学校では厳范孫奨学金を設置し、周恩来も奨学金を受けて日本に留学した。

Source: ( `ハ´)中国の反応ブログ