「裏切り者サムスンを倒すのが目標」…嫌韓に陥った世界最大の製造代行
郭台銘フォックスコン創業者
「私の人生の目標は裏切り者サムスン電子を倒すこと」
アップルのiPhoneを委託生産する世界最大の製造代行、フォックスコンの創業主、郭台銘創業主の言葉だ。
このほかにも郭台銘は「GalaxyではなくiPhoneを購入せよ」「韓国人と違い、日本人は裏切らない」「日本企業と手を組んで5年以内にサムスン電子を下す」などの発言を相次いでいる。
アップルのiPhoneやアマゾンKindleなど、世界家電製品の40%ほどを生産しているフォックスコンは、どうして韓国企業と敵対的な関係におかれることになったのだろうか。
実際、彼はサムスン電子に裏切られたことがある。 2010年、サムスン電子はフォックスコンのLCD生産系列会社のチーメイ(Chimei)とLGディスプレイなど6社を欧州連合(EU)に価格談合の疑いで告発したことがある。 そのため、フォックスコンは課徴金3億ユーロを払わなければならなかった。 ただ、サムスン電子は自主申告により、課徴金全額免除を受けた。
この事件後、郭台銘は公開席上でサムスン電子に対し、憚ることのない発言を続けた。
郭台銘は1950年、台湾の台北で生まれた。 中国陝西省出身の父親と山東省出身の母親は共産党を避けて1949年に台湾に移住した。
郭台銘は子どもの頃からゴム工場でタイヤを生産するなど、早くからビジネス感覚を身につけた。 氏は1974年、母親からもらった10万台湾ドルを含めた40万台湾ドルで、24歳で起業に乗り出す。 彼が初めて選んだ事業はプラスチック製造業だった.
そのように本格的なビジネスの世界に足を踏み入れるようになった郭台銘は、今日世界最大の製造代行会社に成長することが出来た。
彼に訪れた最初のチャンスは、1980年、米ゲーム機メーカー、アタリからの「注文」だった。 アタリは1980年代、テレビゲームの好況期を迎え、安定供給のため、海外製造代行を通じて生産することに決めたが、これを郭台銘が捉え、チャンスを手にした。
郭台銘は、これをきっかけに、台湾から脱し、グローバル企業へと成長しなければならないという決心をすることになる。 その後、実際、郭台銘は自身で米国に渡り、新たな取引先を探すため、あちこちに飛び回っているが、産業スパイと疑われたり、門前払いを受けたりすることなど、数え切れないほど多かった。 にもかかわらず、彼はあきらめなかった。
以後、彼は2度目のチャンスを掴むことになる。1988年、中国本土に進出したのだ。 当時、中国は資本主義を受け入れ始めた時、台湾企業各社が中国本土に投資するのを嫌っていたのとは異なり、郭台銘は勝負に出た。 そして、彼の予想は的中した。 彼は1988年、中国広東省深センに中国最大の生産工場を建設し、中国政府も同様に全面的な支援を行い、成長することができた。
このように成長街道を走ってきたフォックスコンはついにアップルと出会い、まさに「大ヒット」を生み出すことになる。 アップルは元々LG電子に委託生産を任せていたが、製品に厳しいスティーブ・ジョブズすらフォックスコンを認め、自社製品をフォックスコンに委託し始めたのだ。 それもそのはず、フォックスコンはアップルと縁を結ぶ前、米国のDELLコンピューターなど、米国の電子企業がフォックスコンに委託生産を任せて、生産および品質システムで認められてきた。 アップルと出会ったフォックスコンは、世界の電子製品の約40%を生産する世界最大手の委託生産メーカーへと跳躍することになる。
このようなフォックスコンが韓国企業に対して否定的な発言をするのは、単に過去の悪縁から出た感情的発言だけではないというのが衆論だ。 委託生産業者から脱し、独自のブランドを備えた総合電子メーカーへと生まれ変わるのが目標のフォックスコンにとって、サムスン電子は強力なライバルだからだ。 フォックスコンが日本のシャープを買収したのも、このような脈絡からだ。 東芝の半導体事業である東芝メモリー買収のために30兆ウォンに達する投資に踏み切るなど、韓国が握っている半導体産業にまで進出しようという野心を隠さずにいる。 結局、このディールは霧散したが、フォックスコンのスムーズな歩みは依然として現在進行形だ。
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Source: かんこく!韓国の反応翻訳ブログ